有効召命
以前の記事で、アルミニウス主義は、救いが神の選びに基づいていることを否定し、
あくまで人間の自由意志で救いを選べると考えていること述べました。
しかしそれだけではなく、アルミニウス主義は、有効召命も否定します。
有効召命というのは、神に選ばれた人々が福音を聞くとき、
内なる人に聖霊が働き、超自然的に信仰に導く働きのことです。
1コリント2:14
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
上記の箇所にあるとおり、
「生まれながらの人間」は、福音を聞いてもそれを「受け入れません。」
また「それを悟ることができません。」
パウロは、以下の箇所でも同じことを言っています。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。ローマ3:11
1コリント12:3
このように、救われる前の人間は、救いに関してまったくお手上げの状態です。
まず聖霊による超自然的な働きによって、福音を悟れる状態にしてもらわない限り、
イエスを信じることはできません。
このことをイエスさまの言葉で言うと、こうなるのだと思います。
選ばれた人々に聖霊が働き、
福音を通して語り掛ける主の声を聞けるようにし、
福音を信じさせる働きのことを有効召命と言っています。
多目的贖罪論の著者は、
有効召命をもっとも如術に表しているのは、次の箇所だと述べています。
ローマ8:30
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
上記の聖句は、
神が予定した人々と、
召した人々(神が呼ぶ人々)と、
救われる人々(義認され栄化される人々)が、同一であることを示しています。
*栄化・・・再臨の際に肉体が栄光の体にされること。
神に呼ばれる人々と、救われる人々が同一であるということは、
聖霊による呼び掛けには失敗がないということです。
聖霊の呼び掛け(召命)には超自然的な効力があり、
肉の愚かさや不信仰、反発などを究極的に解消し、
キリストを信じさせる力があることを示しています。
神学者たちはこの働きを、有効な呼び掛けという意味で、
有効召命と呼んでいます。
ピリピ2:12~13(新共同訳)
だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
上記の聖句に、
神が信者の内側に働き、「御心のままに望ませる」とあるとおり、
聖霊による語り掛けは、義認の後にも継続します。
「よこしまな曲がった時代の中で」歩んでいる私たちは(15節)、
時には不信仰に陥ったり、躓きを体験したりします。
人生の終わりまで(あるいは再臨まで)私たちの信仰を守り、
完成させることができるのです(ピリピ1:6)。
ピリピ1:6
あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
この聖句は、
救いを始めるのは神であり、完成させるのも神であると言っています。
人間の自由意志ではありません。
●感想
聖書は、神に選ばれた人は必ず救われ、
神がその人の救いを完成させてくださると教えています。
巷にあふれるアルミニウス主義は、人間の自由意志を重視しすぎており、
聖書と異なる救済論を教えています。
その教えは、自分の意志で救いを捨ててしまうことを恐れる人々を生み出します。
アルミニウス主義の救済論は、
救いを保証する神の約束に対する不信仰をもたらします。
神の力や約束よりも、人間の自由意志のほうに大きな信頼を置かせるのです。
そのような神学は、それを信奉する牧師にとっても、
その牧師の信徒さんにとっても、百害あって一利なしです。
ぜひ考え直していただき、
恵みと信仰により安息のうちを歩まれることをお薦めします。