聖霊による聖別
聖霊の働きの一つに、神のために私たちを取り分け、聖める働きがあります。
この働きも、救いに選ばれた人に対してのみなされるものです。
一つは、回心の際に選ばれた人々を聖別する働き、
もう一つは、新生した後にキリストの似姿に変えていく聖化の働きです。
この記事では、はじめに聖別の働き、次に聖化の働きについて書きます。
●聖霊による聖別
ローマ15:16
それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。
塚本訳
この恩恵とは、わたしが(神に選ばれて)異教人のためにキリスト・イエスにつかえる者になり、神の福音のために祭司の職をすることであって、こうして異教人が聖霊によって聖別され、御心にかなう捧げ物になるようにしているのである。
「聖くする、取り分ける、聖別する、捧げる、分離する」などの意味があります。
パウロが異邦人伝道をしているのは、
福音をとおして異邦人が聖別され(神のために取り分けられ)、
それによって神に受け入れられる供え物になるためだと言っています。
聖別される前は罪の汚れがあるため、神は人を受け入れることができません。
人が神に喜ばれる供え物となるには、
聖霊の働きによって汚れから聖別される必要があるのです。
この働きは、回心の際に瞬時になされると言われています。
聖別が瞬時の働きだと考えられる理由は、
「聖なるものとされた」という部分が完了形で書かれていることにあります。
言い換えると、
取り分けがすでに完了し、罪の汚れから分離されているので、
神に受け入れられる状態になったのです。
こういうわけで、聖霊による聖別と救いは、切っても切れない関係にあります。
聖別されることによって、初めて人は神に受け入れられ、救われるからです。
ここで注意すべきことは、聖別というのは、
信じた人が瞬時にして聖人のようになるということではないことです。
そうではなく、キリストが血を流して獲得した贖いが、
贖いによる赦しと聖めの効力が、聖霊によって私たちに執行されて、
瞬時にして汚れから洗い清められるということであって、
聖人君子になるという意味ではありません。
●聖め(聖化)
2テサロニケ2:13~14(口語訳)
しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救いを得させようとし、そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。
こちらの聖めは、生涯かけて行われる継続な働きで、一般的に聖化と呼ばれています。
聖化については、皆さんよくご存じのことと思いますので詳しい説明は省きますが、
選ばれた人々にのみ、聖化の働きがなされることがこの聖句からわかります。
ちなみに、「きよめと、信仰とによって」の「よって」の部分は、
エンというギリシャ語です。
エンは「~の中で」という意味ですから、
救いは聖めと信仰の内側において完成に至ることがわかります。
言い換えると、キリストを信じた後に罪と汚れの生活に迷い出てしまったり、
いったん信じても、再び不信仰の生活に戻ってしまう場合、
救いは完成に至らないということです。
もっともヨハネが教えているとおり、
継続的に罪を犯しつづける人は神に属していませんし、
本当に救われている人は、罪を継続的に犯すことはありません。
罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。
「神の種」とは聖霊のことですから、
罪の生活をつづけることができないのです。
そのようにして聖霊は選ばれた人の救いを保ちつづけ、
救いの完成に至らせるということです。