自分の義と善行は違う マタイ6:1
マタイ6:1
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
マタイ5:16
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
私は以前から、上記の2つの聖句が矛盾する気がしてなりませんでした。
一方は善行を人前で行うことに否定的で、
もう一方は善行を公にするよう勧めているからです。
両者は、ほぼ逆のことを言っていると思います。
しかし前者を原文で見ると、「善行」という訳語に問題があることがわかります。
この部分には、
「ディカイオスネン フモーン/あなたがたの義」と書かれているからです。
そういうわけで、イエスが禁じているのは善行そのものではなく、
あくまで自分自身の義しさをひけらかすことなのです。
口語訳聖書は、原文どおりに訳しています。
口語訳
自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
●善行は公にすべき
マタイ5:16の「良い行ない」の部分は、「カラ エルガ」と書かれています。
カラは「美しい、善なる、尊い」という意味で、エルゴーは「行い、働き」です。
ですからマタイ5:16のほうは、文字通り「善行」です。
実際、文語訳はこう訳しています。
かくのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。これ人の汝らが善き行爲を見て、天にいます汝らの父を崇めん爲なり。
●まとめ
私たちクリスチャンは、主にある「善行」を人前で行うべきです。
それによって、父なる神に栄光を帰すためです。
しかし自分の義を表そうとして何かをすべきではありません。
私たちにあるのは、ただ信仰をとおして受ける神の義だけだからです。
ローマ3:21~22
しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。