サタン・悪霊への勝利と普遍的贖罪
この記事では、神が普遍的な贖罪を行なった目的の一つとして、
サタン・悪霊に対する勝利があったことを書きたいと思います。
●人間の罪とサタン
1ヨハネ5:19
私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。
エペソ2:2
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
上記の聖句の「悪い者」「支配者」「不従順の子らの中に働いている霊」は、
どれも単数形で書かれており、サタンを指していることは明白です。
サタンは、
人間が自分に従い、罪を犯すことにより、
この世と人間を支配する権威を確立しています。
人が罪を犯すとき、サタンは力を得るのです。
逆に言うと、キリストが自身の権威と支配を確立するには、
サタンの権威の土台となっている人の罪を処理しなければなりません。
次の聖句が意味しているのは、まさにそのことです。
1ヨハネ3:8
罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。
神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
「悪魔のしわざ」とは、人間を誘惑し、罪を犯させ、
自分の支配権を強めるサタンの働きを指していると思われます。
キリストは、このサタンの働きを砕くために到来しました。
キリストの十字架は、人間の罪を処理し、
サタンの支配権の足場を崩すための方策だったのです。
ヨハネ12:31
今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
十字架を念頭に置いたイエスがこのように語ったのは、
贖いによってサタンが足場を失うことを知っていたからでしょう。
黙示録12:10~11
今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。
サタンは十字架で大敗を喫しましたが、それでも私たちを神の前で日夜訴えます。
しかし「小羊の血」(十字架の贖い)が私たちの勝利の要であるのと同様に、
神にとっても、十字架はサタンに対する勝利の要でした。
次に挙げる聖句は、そのことを示しています。
●「支配と権威」に対する勝利
コロサイ2:13~15
あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。
上記の「支配と権威」というのは、国々を支配していた天使のことです。
コロサイ1:16の「見えないもの」というも、天使を指していると言われています。
またパウロの考えでは、
哲学というのは、この世を支配する悪霊どもに導かれていました。
新共同訳で読むと、そのことがわかります。
コロサイ2:8
人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。
コロサイ2:15では、
キリストの十字架によって「支配と権威」なる悪霊どもが武装解除され、
キリストの捕虜として行列に加えられたと書かれています。
その箇所は、まず人間の罪が贖われ、
次に罪を責め立てる土台となる債務証書が取り除けられたと述べています。
神が罪を証明する証書を十字架につけてしまったので、
「支配と権威」は、もはや人を責め立てる根拠を失い、神とキリストに敗れました。
キリストの贖罪には、罪や死に対する勝利だけではなく、
霊界における勝利という目的もあったのです。
サタンや悪霊に対して完全な勝利をとるには、
ずべての人のすべての罪を贖う必要がありました。
サタンや悪霊に対する勝利ためにも、普遍的な贖罪が必要であったということです。