ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

人の実質は心で決まる


 
マタイ6:22~23
からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
 
 
 いったいイエスさまは、この箇所で何を云わんとしているのでしょうか?
 
 視力の話ではなさそうですが、イマイチ意味不明ですよね。
 
 
 
 まず、この箇所の「目」は単数形で書かれています。
 
 なので、通常の肉眼の話をしているのではないことがわかります。
 
「目」を単数形で使う場合、何か特別な意味があったのでしょう。
 
 
 セイヤーギリシャ語辞典の「目/オフサルモスに関する説明の中に、
 
目は心の指標である」とあります。
 
 その事例として、マタイ2015が挙げられています。
 
あなたの目にはねたましく思われるのですか
 
(直訳:あなたの目が悪いからではありませんか
 
「目=心の指標」という原則を適用すると、
 
「あなたの心(の指標)が悪いからではありませんか」となります。
 
 
からだ
 
「からだ」と訳されているのはソーマという言葉です。
 
 セイヤーギリシャ語辞典によると、ソーマには「実体」という意味があります。
 
 
コロサイ2:17 新共同訳)
これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体(ソーマ)はキリストにあります。
 
 
まとめ
 
 上記の内容をまとめでみましょう。


 からだのあかりは目です。
 
 ソーマという言葉を使うことによって、
 
 イエスさまは、人間存在の実体を意味していたのではないでしょうか?
 
 つまり、「人間存在の実体は、心の指標である」と。

 
 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。
 
「心の指標が悪ければ、あなたの実体は闇で満ちます」(注)

 
 つまり、人の実質は心で決まるとおっしゃっているのだと思います。
 
 
注:「暗い/スコテイノス」には「闇で一杯の」という意味がある。