人の実質は心で決まる
マタイ6:22~23
からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
いったいイエスさまは、この箇所で何を云わんとしているのでしょうか?
視力の話ではなさそうですが、イマイチ意味不明ですよね。
●目
まず、この箇所の「目」は単数形で書かれています。
なので、通常の肉眼の話をしているのではないことがわかります。
「目」を単数形で使う場合、何か特別な意味があったのでしょう。
「目は心の指標である」とあります。
その事例として、マタイ20:15が挙げられています。
「あなたの目にはねたましく思われるのですか」
(直訳:あなたの目が悪いからではありませんか)
「目=心の指標」という原則を適用すると、
「あなたの心(の指標)が悪いからではありませんか」となります。
●からだ
コロサイ2:17 (新共同訳)
これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体(ソーマ)はキリストにあります。
●まとめ
上記の内容をまとめでみましょう。
からだのあかりは目です。
ソーマという言葉を使うことによって、
イエスさまは、人間存在の実体を意味していたのではないでしょうか?
つまり、「人間存在の実体は、心の指標である」と。
もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。
「心の指標が悪ければ、あなたの実体は闇で満ちます」(注)
つまり、人の実質は心で決まるとおっしゃっているのだと思います。
注:「暗い/スコテイノス」には「闇で一杯の」という意味がある。