「さばく」ということについて マタイ7:1~2
マタイ7:1~2
さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
finding fault with this or that in others/あれやこれやと他人の荒探しをすること
イエスさまはそうすることを禁じていますから、
私たちクリスチャンは、他人の荒探しをすべきではありません。
しかし私が日頃からおかしいと思っていることは、
他人が過ちを犯していても指摘すべきではないと思っている人が、
クリスチャンの中に大勢いることです。
そのような姿勢は、クリスチャンとして正しいのでしょうか?
●地の塩
あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
「塩」というのは死海の土から不純物を取り除いたもので、
食べ物に味つけをするために使われていました。
イエスさまは、クリスチャンは「地の塩」だと言っており、
この世に対して神の味つけをする存在だと言っています。
そのためには、言うべきことは言い、為すべきことは為さなければなりません。
●クリスチャン同士の戒め
また聖書は、クリスチャンは互いに戒め合うべきだと繰り返し教えています。
ルカ17:3
気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
ガラテヤ6:1
兄弟たちよ、もしもある人が軽率にも何らかの罪過に陥ったとしても、霊的な人であるあなたがたは、柔和な霊をもって、そのような人を正しなさい、あなたもまた誘惑されないように自分自身に注意を払いながら。(岩波翻訳委員会訳)
2テモテ4:2
御言葉を宣べ伝え、時節が良くても悪くても〔これに〕勤しみ、〔口答えする者がいれば〕反駁し、誡め、言い聞かせてやりなさい、最大限の鷹揚さと教え諭し〔の精神〕とをもって。(岩波翻訳委員会訳)
ヤコブ5:20
罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。(新共同訳)
●教会の指導者も戒めが必要
1テモテ5:20
罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。
上記の言葉は、教会の指導者(長老・監督)に関するものです(19節)。
戒めが必要なの指導者も同じです。
「ほかの人をも恐れさせるため」に、
「すべての人の前で責めなさい」と使徒は命じています。
●まとめ
他人の荒探しや悪口はいけませんが、戒めはすべての人に必要です。
荒探しと戒めはまったく異質のものです。
私たちは、互いに戒め合いましょう。