豚に真珠の意味 マタイ7:6
マタイ7:6
聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。
この箇所は難解ですが、箴言やペテロの手紙がヒントになります。
箴言26:11
犬が自分の吐いた物に帰って来るように、愚かな者は自分の愚かさをくり返す。
2ペテロ2:22
彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る。」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる。」とかいう、ことわざどおりです。
まず、ペテロが箴言を引用していることは確かです。
箴言では、「犬」と「愚かな者」が対比されており(並行法)、
神の教えを繰り返し蔑ろにする人たちを比喩的に表現しています。
次に、ペテロの言葉がイエスさまの教えと重なっていることも間違いありません。
であれば、イエスさまも犬や豚という表現を比喩的に使っているということです。
ペテロは2:1で「にせ教師」について書きはじめました。
「彼ら」というのは「にせ教師」を指しており、
クリスチャンの間から現れて(2:1)、「真理の道」を歪曲します(2:2)。
にせ教師たちは滅びることになると言われています(2:1、3)。
これによってわかるのは、ペテロもまた、
犬や豚という言葉で、神に逆らう人々を比喩的に表しているということです。
また彼らが蔑ろにするのは、神の真理であることもわかります。
これらのことから、
イエスさまも神の真理と、それに逆らう人々について語っていることがわかります。
「聖なるもの」「真珠」というのは神の真理であり、
「犬、豚」は神に逆らいつづけ、悔い改めない人々のことです。
●文法
マタイ7:6の「与えてはいけません」と「投げてはなりません」の部分は、
「禁止の接続法」(否定語+アオリスト過去形の二人称)という用法で書かれています。
この用法は、やんわりではなく、はっきりとした禁止の命令です。
なのでイエスさまは、悔い改めることのない人に対して神の真理を語ることを、
明確に禁じていることになります。
●まとめ
マタイ7:1~5で、イエスさまは人の誤りを正すことについて語りました。
私たちは神の真理を使って人々の誤りを正すわけですが、
中には十分に理解した上で真理を蔑ろにし、悔い改めない人たちがいます。
イエスさまは、そうすることを禁じておられます。
そういう人を無理に正そうするなら、迫害を受ける可能性があり、
そうならないためだと言っています(6節後半)。