ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

歴史的現在用法/劇的現在用法 マタイ8:4

 
 すみませんが、文法の話です。
 

マタイ8:1~4 
エスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
エスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。
エスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」
 
 
 4節の「イエスは…言われた」の部分ですが、
 
 原文では「レゴー/言う」という動詞が現在形で書かれています。
 
 なので、直訳は「そこでイエスは言う」となります。
 

*「そこで」が入る理由は、

  カイという接続語(英語のandに相当)がついているためです。
 

 岩波翻訳委員会訳はそのように訳しています。
 
 
そこでイエスは、彼に言う、「心して、誰にも言うな。ただし行って自らを祭司に見せ、モーセが命じた供物を献げるがよい。人々への証しとなるためだ」。
 

解説
 
 ダニエル・ウォレス博士の説明によると、
 
 これは「歴史的現在用法/historical present

 あるいは「劇的現在用法/dramatic presentと呼ばれる用法で、
 
 情景を生き生きと描くために、過去の出来事をあえて現在形で書くのだそうです。
 
 ただし、この箇所で使われているレゴーという動詞の場合、

 余りにも頻繁にこの用法で使われるために劇的現在用法の意義が失われてしまい、
 
 単なる慣用句として理解されているとのことです。
 
 新改訳を初めとする日本語聖書が、軒並み過去形の訳語にしているのは、
 
 慣用句として解釈しているためだと思われます。