平安が返ってくるとは? マタイ10:13
少し戻ってこの箇所について書きます。
マタイ10:12~13
その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。
その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
まず「家」という言葉ですが、これは建物自体を問題にしているのではなく、
そこに住む人々のことを喩える表現です。
イエスさまが問題にしているのは、
その家に住む人々が、使徒たちのもたらす祝福を受けるにふさわしいかどうかです。
原文の12節には「平安を祈る」というフレーズは書かれておらず、
「その家に入るときには、あいさつしなさい」としか書かれていません。
「平安を祈る」をつけ加えているのは、わかり易くするための意訳だと思われます。
「安全、健康、幸福、平穏、繁栄、安息、調和」など、総合的な祝福を意味します。
ルカ:14
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」
ですから「平安」(神からの総合的な祝福)というのは、
御心にかなう人に与えられるということです。
福音を告げ知らせる人を拒むことは、イエスさまを拒んでいるのと同じことですから、
そういう人は御心にかなわず、平安(神からの祝福)を受けることはできません。
なので、平安の挨拶(祝福)も使徒たちに戻ってしまうのです。
新改訳では「(平安が)来るし」とか「返って来ます」と訳されていますが、
これらの部分は、原文では緩やかな命令形で書かれています。
どちらも「アオリスト過去形+命令形」という形式で、
ウォレス博士によると、「リクエスト、嘆願、丁寧な命令」を表す命令形式です。
なので前半の直訳は「あなたがたの平安をその家の人々に来させなさい」となり、
後半は「あなたがたの平安をあなたがたに戻ってこさせなさい」となります。
岩波翻訳委員会訳が直訳的な訳し方をしています。
そこで、もしその家がふさわしいのならば、あなたたちの平安がそ〔の家の者たち〕の上に来るように。もしふさわしくないのならば、あなたたちの平安はあなたたちのところに戻って来るように。
要するにイエスさまは、
その家の人々が使徒たちを歓迎しない場合、
使徒たちの挨拶も受け入れないだろうから、その家から立ち去りなさい、
と言っているわけです。
その人たちは神の祝福を受けるに値しないから、
「神の祝福はあなたがたに帰されますように」と言い、
むしろ使徒たちを祝福しておられるのです。
ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。
なので二人は、ユダヤ人たちは祝福に値しないと判断し(足のちりを払い落とし)、
彼らのものとを去りました。