ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ペテロの信仰告白と教会 マタイ16:18


 
 皆さん、よくご存じの箇所だと思いますが、避けて通れないので記事にようと思います。
 
 
マタイ16:18 
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。
 
 
「あなたはペテロです」という部分は、原文では次のようになっています。

 
  σὺ    εἶ      Πέτρος
 あなた あなたは~です   ペテロ
 
 
 ギリシャ語では、「εἶ/エイ」だけでも「あなたは~です」という意味を表します。

 しかしイエスさまは、敢えて「σὺ/スー」をつけて「あなた」を強調しています。
 
 これはイエスさまが、十二弟子の中で特にペテロを指し示していることを意味します。
 
 問題は、なぜそうしたかです。なぜでしょうか?
 
 それは、「あなたは、生ける神の御子キリストです」という、ペテロの信仰告白のゆえです。
 
 この前後の脈絡の中で、この信仰告白を無視することはできません。
 
 
この岩の上に
 
 この箇所の釈義で必ず問題になるのは、カトリックプロテスタントの釈義の相違です。
 
 カトリックは、「岩」というのはペテロのことだと主張し、ペテロの地位継承者だとされている教皇の権威を擁護します。
 
 一方、プロテスタントは、罪の性質を持つ人間に過ぎない存在を、キリスト教会の土台として考えるべきではないと主張します。

 確かにペテロは、イエスさまが捕らえられたとき、イエスさまを知らないと3度告白しました。そのような人物が教会の土台だというのは、問題です。
 
 ですから、イエスさまがペテロを指し示しているという点では、カトリックは正しいものの、ただの人間を教会の土台にすべきではないという点では、プロテスタントが正しいのです。
 
 
文法
 
 では、「この岩」というのは何を意味するのでしょうか?
 
 答えは知れ渡っているので先に言いますが、ペテロの信仰告白を指しています。
 
 理由の一つは、「ペテロ」という固有名詞が男性形であるのに対し、「この岩」という表現は女性形です。
 
 ギリシャ語文法では、同一のものを指す場合、「この」という指示代名詞の性別も、それが指し示す名詞(ここではペテロ)と一致することになっています。

 しかし「ペテロ」と「この岩」は性別が異なっているので、ペテロという名前を指して、イエスさまが「この岩」と言っているとは考えにくいのです。
 
 
文脈
 
マタイ18:1 
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
 
 
 ペテロが教会の土台でないことは、少し読み進んだマタイ18章も参考になります。
 
 もしペテロの信仰告白ではなく、ペテロという人間そのものが教会の土台だとすると、ペテロはイエスさまの次に偉い人物だということになります。
 
 実際、カトリック教会の神学では、教皇はイエスさまの次に偉い人物です。
 
 しかしそう解釈した場合、上記の箇所の「だれが一番偉いのでしょうか」という弟子たちの質問は、まったくの愚問になってしまいます。
 
 聞くまでもなく、16章ですでに答えが出ているからです。
 
 
マタイ18:18 
まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 
 
 さらに上記のイエスさまの言葉も、矛盾することになります。
 
 ここでは「あなたがた」と、弟子たち全員を指す表現が使われており、霊的権威は弟子たち全員に与えられています。
 
 もしペテロだけが特別に偉い人物で、彼の上だけに教会が建てられるのであれば、この部分も「あなた」と単数形にした上で、ペテロの名前を出す必要があります。
 
 なのでカトリックの釈義は、文脈的にも間違っていると言わざるを得ません。
 
 
まとめ
 
 こういうわけで、重要なのは「あなたはキリストです」という信仰告白です。
 
 イエスさまは、この信仰告白の上にキリストの教会をお建てになり、今もそうしておられるのです。