ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「百匹の羊」というのは誰のこと? マタイ18:12~14


 この箇所は、伝道説教でよく使われる箇所です。

 伝道説教の中では、「羊」というのは不信者を指しています。
 
 しかしマタイが話しているのは、不信者のことではなく、信者のことです。
 
 この記事ではその点を説明します。
 
 
マタイ18:12~14 
あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
 
 
 まずわかり易いところで、文脈から説明します。
 
 前回の記事で述べたとおり、14節の「小さい者たち」というのは、

 子どものようになってイエスさまを信じた信者のことです。
 
 このことから、マタイが述べているのは不信者のことではなく、

 正しい教えから迷い出て、救いが危うくなっている信者のことであることがわかります。
 
「羊」というのは、以下の箇所でも信者のことを指しています。
 
 
マタイ7:15 
にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。
 
マタイ25:32~34 
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
 
 
 次にギリシャ語の意味から説明します。
 
 マタイ18:12~13で「迷い出る、迷う」と訳されている語はプラノーといい、

 英語のplanet/惑星(彷徨う天体)の語源です。
 
 プラノーには「正しい道から逸れる」という意味の他に、

「惑わす」という意味もあります。以下に、使用例をいくつか挙げます。
 
 
マルコ13:6 
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
 
ルカ21:8 
エスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私がそれだ。』とか『時は近づいた。』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。
 
2テモテ3:13 
しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。
 
 
 このようにマタイは、

 正しい教えから逸れ、惑わされてしまっている信者を指して「羊」と言っています。
 
 99人の信者は忠実に歩んでいるため信仰的に安全ですが、

 1人だけ霊的に惑わされて危険な状態にある信者がいるのです。
 
 しかしイエスさまは、そのような信者を守ってくださる、

 というのがマタイの云わんとしている処です。
 
 救いに選ばれている人を失うことがないという教えは、

 以下の箇所でも述べられています。
 
 
ヨハネ6:39 
わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
 
ヨハネ10:28~29 
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
 


●あとがき

 マタイの箇所を、伝道説教に使っては駄目だというわけではありません。
 
 しかし正しい解釈で理解することは、信者として重要だと思います。
 
 イエスさまは、私たち信者の信仰を最後まで守ってくださると教えているからです。