癒しは神の憐れみによる マタイ20:30~34
マタイ20:30~34
この箇所に、「あわれんでください」という言葉が2回出てきます。
2人の盲人は、「エレエオーしてください!」という祈りが聞かれて、
超自然的な癒しを受けました。
エレエオーは、例えばローマ9:15で使われています。
ローマ9:15~16
上記の聖句でパウロが指摘しているとおり、
憐れみを受けられるか否かは、人の願いや努力ではなく、
憐れんでくださる神(の御心)次第です。
つまり、神の癒しも御心次第だということです。
2人の盲人は「自分のあわれむ者」の中に含まれていたので、
超自然的な癒しという形で憐れみを受けました。
ですから神ご自身が言っておられるとおり、
超自然的に癒すか否かは神が決めることであって、人には決められません。
聖霊派でしばしば教えられている、
誰もが超自然的に癒やしを受けられるという教えは間違いです。
●期待はすべき
しかし、超自然的な癒しを期待すべき理由はあります。
新改訳聖書の場合、ヘセッドは「恵み」と訳されています。
また私の敵が、「おれは彼に勝った。」と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。
ヘセッドの定義は「忠実なる愛」であり、「契約の愛」です。
ですからダビデ王や2人の盲人が主のヘセッド/エレオスに寄り頼んだように、
私たちもそうすべきです。
主のヘセッドのゆえに、
ダビデ王は敵の手から救い出され、盲人たちは超自然的な癒しを受けました。
私たちも、主のヘセッド/エレエオーに期待して祈りましょう。