ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

癒しは神の憐れみによる マタイ20:30~34


 
マタイ20:30~34
すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでくださいダビデの子よ。」
そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでくださいダビデの子よ。」と叫び立てた。
エスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。


 この箇所に、「あわれんでください」という言葉が2回出てきます。
 
 これは、エレエオー(憐れむ)という言葉の訳語です。

 2人の盲人は、「エレエオーしてください!」という祈りが聞かれて、

 超自然的な癒しを受けました。
 

 エレエオーは、例えばローマ915で使われています。
 
 
ローマ9:15~16 
神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
 
 
 上記の聖句でパウロが指摘しているとおり、
 
 憐れみを受けられるか否かは、人の願いや努力ではなく、
 
 憐れんでくださる神(の御心)次第です。
 
 つまり、神の癒しも御心次第だということです。

 2人の盲人は「自分のあわれむ者」の中に含まれていたので、

 超自然的な癒しという形で憐れみを受けました。

 
 ですから神ご自身が言っておられるとおり

 超自然的に癒すか否かは神が決めることであって、人には決められません。
 
 聖霊派でしばしば教えられている、
 
 誰もが超自然的に癒やしを受けられるという教えは間違いです。
 
 
期待はすべき
 
 しかし、超自然的な癒しを期待すべき理由はあります。
 
 エレエオーの名詞形であるエレオス(憐れみ)は、
 
 七十人訳ではヘセッドの訳語になっています(参照:ウィキペディア「恩寵」
 
 新改訳聖書の場合、ヘセッドは「恵み」と訳されています。
 
 
詩篇13:4~5 
また私の敵が、「おれは彼に勝った。」と言わないように。私がよろめいた、と言って私の仇が喜ばないように。私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。
 
 
 当ブログの契約の愛ヘセッドで書きましたが、
 
 ヘセッドの定義は「忠実なる愛」であり、「契約の愛」です。
 
 ですからダビデ王や2人の盲人が主のヘセッド/エレオスに寄り頼んだように、
 
 私たちもそうすべきです。
 
 主のヘセッドのゆえに、

 ダビデ王は敵の手から救い出され、盲人たちは超自然的な癒しを受けました。

 私たちも、主のヘセッド/エレエオーに期待して祈りましょう。