ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

死者の復活問答 マタイ22:31~32


 
 イエスさまは、死者の復活はないとするサドカイ人の見解は間違いだと言っています。 

 その根拠として、『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』という出エジプト記36を引き合いに出しています。
 
 しかしこの言葉が、どうして死者の復活を肯定することになるのでしょうか?
 
 この記事では、その点を考えたいと思います。
 
 
マタイ22:31~32 
それに、死人の復活については、神があなたがたに語られた事を、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
 
 
 まず七十人訳出エジプト36と、イエスさまの引用を比べてみましょう。
 
 
᾿Εγώ εἰμι ὁ θεὸς τοῦ πατρός σου, θεὸς Αβρααμ καὶ θεὸς Ισαακ καὶ θεὸς Ιακωβ.
 
ギリシャ語聖書・マタイ2232
Ἐγώ εἰμι ὁ θεὸς Ἀβραὰμ καὶ ὁ θεὸς Ἰσαὰκ καὶ ὁ θεὸς Ἰακώβ; 
 
 
 一見してわかるのは、イエスさまの引用のほうが短いことです。
 
 何が省略されているかというと、「あなたの父の神」に相当するブルーの部分です。
 
 逆に言うとイエスさまは、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」の部分を強調しているのです。この部分にポイントがあるということです。
 
 では、この表現から何がわかるのでしょうか?
 
 聖書注解者らの説明によると、「神」という言葉が3回繰り返されており、「アブラハム、イザク、ヤコブ」のそれぞれが神と関係を持っている(今も維持している)、という点にポイントがあるとのことです。
 
 出エジプト記の箇所でモーセが主の語り掛けを受けた時点では、アブラハム、イサク、ヤコブは、死んでからすでに数百年たっていました。
 
 それにもかかわらず主なる神は、「わたしは(今も)アブラハムの神であり、イサクの神であり、ヤコブの神である」と言われました。
 
 もしこの3人の存在が消滅していたのなら、そのように言うことはできません。ひとり一人が、今も神の前に存在しているからこそ言えたのです。
 
 ではその時点で、この3人は復活していたのでしょうか?
 
 そうではありません。霊魂の状態で神の前にいたのです。
 
 
ルカ16:23 
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
 
 
 上記の箇所から、アブラハムはイエスの時代になっても復活しておらず、霊魂の状態でハデス(あるいは天国)にいたことがわかります。
 
 ではイエスさまは、どうして3人が復活しているかのように話したのでしょうか?
 
 注解者らの説明によると、サドカイ人たちは「霊」の存在を否定していました。
 
 
使徒23:8 
サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
 
 
 そこでイエスさまは、死ぬことによって3人の存在(霊)が消滅したのではなく、霊的に神の前に存在していることを示し、ゆえに時が来たなら復活するのだと暗示したのです。
 
 
群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた」とありますから(33節)、当時のユダヤ人は、イエスさまの話の背景にある霊的原則を、よく理解していたのだと思います