ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ゲッセマネの祈りと主の祈りの共通点 マタイ26:41


 
 ゲッセマネの祈りと主の祈りに、共通している教えについて書きます。
 
 
マタイ26:41 
誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。
 
 
 41節で「誘惑」と訳されているのは、ペイラスモスという言葉です。
 
 意味は、①試練、②誘惑、③艱難です。
 
 
 イエスさまはゲッセマネで、誘惑に陥らないよう祈りさないと教えました。
 
 この箇所で使われているペイラスモスは、主の祈りでも使われています。
 
 
マタイ6:13 
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
 
 
 ちなみに新改訳の「試み」というのは、良い訳語とは言えません。
 
 理由は以下のとおりです。

 
①神は愛する者を試練に会わせますから(へブル12611)、
 
 神に対して、試練に会わせないくださいと祈るのは間違いです。
 
 そう祈ることは、私を愛さないでくださいと祈るのと同じことになります。 
 

②「悪」というのは「悪い者」という意味です。
 
 ですからイエスさまは、
 
 サタンによる罪の誘惑から守られるよう祈れと教えているのです。
 
 新共同訳は、正しく訳しています。
 
 
新共同訳
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。
 
 
まとめ
 
 セイヤーのギリシャ語辞典でも、主の祈りのペイラスモスは、
 
罪を犯させようとする誘惑という意味だと説明されています。
 

 そういうわけで、ゲッセマネの祈りと主の祈りの共通点は、
 
 誘惑に陥らないように祈るべきだということです。
 
 試練に会わせないように神に祈るのは間違いですが、
 
 サタンや肉の弱さから来る誘惑に陥らないよう祈ることは御心なのです。