日々、共におられるイエス マタイ28:20b
終末論をもう一度学びたくなったので、一気にマタイの福音書の最後に飛びました。
マタイ28:20b
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
この箇所を原文で見ると、
マタイは、「私」を意味するエゴーをあえて使っています。
エゴーをつけなくても「私」という意味を出せるので、
明らかに強調表現がされています。
ですからそのニュアンスを日本語で表現するとしたら、
「わたしは…」ではなく、「わたしが…」としたほうがいいと思います。
また、「いつも」という訳語に相当する部分は、
原文では「すべての日々において」と書かれています。
この2点をしっかり訳出しているのは、岩波翻訳委員会訳です。
岩波翻訳委員会訳
そして見よ、この私が、世の終わりまで、すべての日々にわたり、あなたたちと共にいるのである」。
●共におられる神、イエス
マタイ1:23
「見よ…その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
ちなみにマタイは、
そして最後の章では、
「わたしが…あなたがたと共にいる」というイエスの約束で終わっています。
こうすることにより、
「共におられる神、イエス」という大きなテーマで、
福音書全体がくくられたようになっているわけです。
このような文学的技法を、inclusioと呼ぶそうです。
マタイはinclusioを使い、
イエスさまが徹頭徹尾、私たちを共にいることを伝えたかったのです。
●お知らせ
下記の終末論の本を読み返しますので、
記事の内容も終末論(携挙論)が中心になる見込みです。
何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。