患難前携挙説と無携挙説の比較
患難前携挙説をいったん頭の中から取り払い、同説の主張が正しいかどうか考察します。
マタイ24:40~41
そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
便宜上、上記の個所をm2440と表現します。同様に、マタイの他の個所は、m○○○○とします。
また患難前携挙説を「患難前説」とし、患難後携挙説は「無携挙説」とします。
患難前説は、m2440の前の文脈に大きな出来事、例えばm2401のエルサレムの包囲、m2421の「ひどい苦難」などがあるが、
携挙を述べている個所(1テサ4:16など)の場合、携挙の前には大きな出来事が起こると書かれていない、それが携挙と再臨の違いだと述べています。
●検証1
このように言われると、確かにそうだと思ってしまい、ではやはり、携挙と再臨は別の出来事なのだと思ってしまいます。
しかし携挙の前の箇所には大きな出来事が書かれていない、という前提自体に問題があります。
というのは、もともと聖書は、携挙という出来事があるとは明確に述べていないからです。
1テサロニケ4:14~17
15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
ですから16節~17節の内容は、もしかしたら携挙の描写ではなく、再臨の初動を詳しく解き明かしたものかもしれません。
事実、「主が再び来られるとき」という部分は、原文では「パルスィーアン・トウ・クリストウ」で、直訳すると「主の再臨」です。
パウロが1テサロニケ4章で述べているのは再臨のことであって、いわゆる「携挙」のことかどうかは定かではありません。
この個所が携挙の描写だというのは、携挙説を考案した神学者が「携挙」という言葉を使ってそのように説明し、
私たちがその説明を前提にしているからにすぎません。
●検証2
ゼカリヤ14:3~4
主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。
患難前説は、携挙と再臨のもう一つの違いとして、携挙は「空中で主と会う」(1テサ4:17)が、再臨は地上(オリーブ山の上)で会うとしています(ゼカリヤ14:3~4)。
だから携挙と再臨は、別の出来事なのだと説明します。
しかし無携挙説が説明しているように、空中で主と会った信者がそのままオリーブ山に連れて行かれると考えるなら、
ゼカリヤがその部分の描写を省いているだけと考えることができるので、必ずしも相違や矛盾だとする必要はありません。
●あとがき
今後も比較は続きますから、どう展開するかわかりませんが、
いわゆる「携挙」という現象があるという前提を、
頭から取り払って考えていく必要があると思わされました。