異言は新しい契約のしるし
「聖霊を受ける」というのは、いつ起こるものなのでしょうか?
●説明
まず質問者さんが言及している箇所は、ここだと思います。
使徒19:1~6
アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。…パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
新約聖書中に261回使われています。
言い換えると、この言葉そのものに特別深い意味はありません。
以下の箇所が、参考になると思います。
ローマ8:9
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
使徒19章のポイントは、もっと別のところにあります。
異言や預言は、新しい契約の時代が到来したことの「しるし」でした。
パウロが救われたとき、異言や預言を語ったとは具体的に書かれていませんが、
アナニヤは、自分が遣わされたのは、
使徒9:17
そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
その場面では、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、
わたしが召した任務につかせなさい。」という指示預言が語られました。
エペソの信者たちがイエスの名による洗礼を受けておらず、
ゆえに、新し契約の中にまだ入っていないことが疑われたためだと思います。
パウロは新しい契約に仕えていたので、
異邦人を新しい契約に預からせることは重要でした。
2コリント3:6
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
新しい契約にあります。
●異言や預言は契約のしるし
異言は「新しい契約の時代が到来したことを示す、神からの証拠だった」とあります。
パウロは1コリントで、異言や預言はしるしだと言っています。
岩波翻訳委員会訳・1コリント14:22
かくして、異言は徴としてあるのだが、それは信じている者たちのためではなく、むしろ信じていない者たちのためである。しかし預言は、信じていない者たちのためではなく、信じている者たちのためである。
岩波訳は、原文をほぼ直訳しています。
訳文にあるとおり、パウロは異言や預言はしるしだと言っています。
もう少し詳しく言うと、新しい契約が執行されたことのしるしです。
神が人間と交わす契約には、必ずしるしがあります。
そして新しい契約のしるしは、聖霊の賜物です。
セメヨンに関するギリシャ語辞典の説明は、以下のとおりです。
セメヨンは、物事の目的を強調する言葉である。そのため新約聖書の多くの箇所では、主が行ったことを証明するために使われている。
特に、人間が再現したり独力で行うことができない事をすることにより、それを行ったのが主であることを証明するために使われる。
主は旧約聖書で、御霊による救いを実現する新しい契約を結ぶと予告しています。
以下に挙げた箇所は、その代表的なものです。
ヨエル2:28~29
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
エレミヤ31:31~33
31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ。――
31:33 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
エゼキエル11:19~20
わたしは彼らに一つの心を与える。すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
ユダヤ人たちは、こういった預言の成就を待ち望んでいました。
新約時代が到来し、人々に聖霊が与えられ、超自然的に異言や預言を語ったとき、
ついに預言が成就し、新しい契約が執行されたことを彼らは悟ったのです。
1コリント14:21
律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない。』と主は言われる。」
ペテロも上記にあるヨエルの預言を引用し、異言が神の霊によるわざであることを人々に説明しました。
このように聖書の筆記者たちは、異言が旧約で予告された聖霊の働きの成就であることに気づいていました。
異言や預言は、新しい契約が成就したことのしるし(証拠としての奇跡)だったのです。
●答え
「聖霊を受ける」というのは、いつ起こるものなのでしょうか?
イエス・キリストというお方を信じるときに起こります。
「聖霊を受ける」ことと御霊の内住は、まったく同じことです。
使徒の働きの場合は、新しい契約のしるしを見せるために、
御霊の内住と満たしが同時に起きたケースが、記事になっているだけです。
すでに上記で答えていますが、
別に起きることもあるでしょう。
主の御心次第です。
私は別々に起こりましたが、同時に起きた人も身近にいます。
おわり