神の怒りと携挙 その2 1テサロニケ5:9
当ブログの筆者は、必ずしも患難前携挙説(以降、患難前説)を否定しているわけではありません。
そのため、少し前から患難前説を「批判的な思考」で見ています。
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患難前説は、1テサロニケの1:10や同5:9を根拠に、患難期の前に携挙があると主張します。
同説によれば、患難期全体が神の怒りの表れであり、そこから物理的に逃れることが御心だからです。
患難期全体が神の怒りの表れだとする根拠が薄いことを述べました。
この記事では、少しだけ違う角度から患難前説に問題提起します。
●患難期に地上にいる聖徒たち
1テサロニケ5:9
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
神が、信者に神の怒りを体験しないと約束しながら、艱難時代に信者達を地上に残しておくのは矛盾しているように思えます。
(引用終わり)
上記で述べられているとおり、
患難前説の視点からみると、患難時代に信者が地上にいることは矛盾です。
しかし黙示録の複数の箇所には、地上に信者がいることが書かれています。
黙示録13:5~7
この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。… 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
上記の箇所では、患難期の中頃に現れる第一の獣が、「聖徒たち」に打ち勝つことが予告されています。
黙示録14:12
こちらの箇所では、「聖徒たち」が大患難時代の只中で忍耐する必要があることが書かれてます。
「EU離脱に投票せよ。黙示録18:4」と書かれた住宅の壁
引用元:クリスチャン・トゥデイ
黙示録18:4
それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
この箇所は、2016年6月にEU離脱の賛成票が投じられる動機づけとなった箇所です。
英国のクリスチャンブロガーらが、この箇所を根拠にEU残留は御心ではないと論じ、
それがクリスチャンたちに影響を与えました。
この箇所の中で、主は地上にいる信者に向かって「わが民よ」と語っておられます。
大患難期の地上に、主の民がいることを示しています。
●患難前説の問題点
患難前説が説いているように、クリスチャンが患難期に地上に留まることが矛盾であるなら、
大患難期に「聖徒たち」とか「わが民」と呼ばれる信者が存在するのは、さらに矛盾していることにならないでしょうか?
その人たちも、今の私たちと同様、主イエス・キリストにあって救われているのです。
英国のクリスチャンたちは、EUというシステムから離脱することを選択しましたが、
英国や欧州から物理的に離脱することは選択していません。
そこで暮らし続けることを選び、御心とは思えないシステムだけを拒否したのです。
ならば、それと同じ原則が、英国以外のクリスチャンにも適用できるはずです。
患難期が訪れても地上で暮らし続け、
邪悪になりゆくこの世のシステムだけを拒否するという選択です。
先に挙げた黙示録14:12が教えていることは、正にそういうことではないでしょうか?
黙示録14:12
この聖句が言うように、
神が私たちに求めているのは、物理的に患難期を逃れること(携挙)ではなく、
信仰によって神の戒めを守りつつ、患難期の中を「忍耐」することかもしれません。
イエスさまは、私たちのためにこう祈られました。
ヨハネ17:15
彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。
イエスさまの祈りや黙14:12に基づいて考えるなら、
患難前説よりも無携挙説のほうが、はるかに整合性が高いことは間違いありません。