マタイ24章と2テサロニケ2章の酷似
マタイ24章のオリーブ山の説教と、
テサロニケ人への手紙1と2の再臨の描写が酷似していることを記事にします。
マタイ24章/主イエス
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出来事
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2テサロニケ/パウロ
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24:5
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惑わし
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2:2~3前半
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24:5、11、24
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偽キリスト、不法の人
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2:6~11
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24:12
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愛が冷える、背教
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2:3
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24:15
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反キリスト神殿へ
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2:4
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24:21~22
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苦難、苦しみ
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1:6~10
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24:30~31
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来臨、天使、雲、ラッパ
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1テサ4:16~17
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24:30~31
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来臨
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2テサ2:8
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24:31
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信者を集める(携挙)
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1テサ4:17、2テサ2:1
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24:36、42、44、50
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思い掛けない時
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1テサ5:1~4
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24:42~25:13
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目を覚ましていなさい
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1テサ5:6~8
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1テサロニケ4:15 (新共同訳)
主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。
上記の箇所にもあるとおり、パウロは、主の来臨について記すに当たり、
「主の言葉に基づいて」そうしています。
上の表を見るかぎり、「主の言葉」というのは、
マタイ24章のオリーブ山の説教を指している可能性が十分考えられます。
パウロがテサロニケ人への手紙でマタイ24章と同じ出来事を描写しているのであれば、
患難前携挙説が言うところの「携挙」は、患難期の後半以降に起こることになります。
●「呼び集める」のギリシャ語
マタイ24:31
人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。
マルコ13:27
そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。
マタイ24:31で「呼び集める」と訳されているギリシャ語は、
また、2テサロニケ2:1の信者が主の身元に「集められること」という部分は、
つまり動詞と名詞の違いだけで、同じギリシャ語を使って書かれていることから、
「天の果てから果てまで…選ばれた人たちを呼び集める」や、
「地の果てから天の果てまで…選びの民を集める」という表現は、
いわゆる「携挙」を指している可能性が十分に考えられます。
また、マタイ24:40~41もあります。
「一緒に連れて行く」という意味です。
新共同訳・マタイ24:40~41
そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
マタイ24章で描写されているのが携挙である場合、どいうことになるかというと、
『荒らす憎むべき者』が24:15ですでに台頭していますから、
携挙が起こるのは患難期の後半以降ということになります。
この点については、2テサロニケ2章からも同じことが言えます。
「不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ない」とあり、
携挙が患難期後期以降であることが明確です。
●まとめ
マタイ24章と2テサロニケ2章が同じ出来事を描写しているのなら、
携挙と呼ばれている出来事は、患難期の後期以降に起こります。
さらに、2テサロニケ2:1の「再び来られること」の部分は、
「再臨」を意味するパルスィーアというギリシャ語です。
このことから、マタイ24:31が再臨の一部分を描写している可能性も高くなります。
もしそうである場合、再臨は患難期の一番最後に起きますから、
クリスチャンは患難期全体を地上で過ごすことになります。
患難前携挙説。
鵜呑みにしないほうがよさそうですね。