死者の復活から見た携挙の時期 黙示録20:4
患難後携挙説が、死者の復活と携挙をどのように関連づけているかをご紹介します。
黙示録20:4~6
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
1テサロニケ4:16~17
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
黙示録の箇所には、クリスチャンと思われる人々が生き返る光景が描かれています。
そしてそれが「第一の復活」と呼ばれています。
また1テサロニケの箇所も、
死んでいたクリスチャンたちがよみがえると述べています。
患難後携挙説は、黙示録の復活と1テサロニケの復活が同じものだと考えています。
そして第一の復活が患難期の後に起こるため、
1テサ4:16~17に述べられている復活も患難期の後に起こるものだと考えます。
それゆえ、携挙も患難後に起こると考えます。
そういうわけで、もし1テサ4章の復活と黙20章の「第一の復活」が同じものなら、
患難後説が正しいことになります。
自然な考え方としては、
「第一の復活」と言うからには、それ以前にはクリスチャンの復活はないはずです。
また黙示録20:5には「そのほかの死者は…」とあるので、
一方、患難前説は、黙20:4で復活するのは、患難期に殉教した聖徒たちだと考えます。
その場合、信者の復活は、1テサ4章と黙20章とで二度起こることになります。
●感想
黙示録20:4の復活は、患難期の殉教者だけだという可能性は考えられると思いました。
しかし患難前説が言うように、1テサロニケ4章の復活が、
2000年前から患難期の直前に至るまでに亡くなった信者の復活だとするなら、
患難期の7年間の殉教者の人数よりも圧倒的に多いはずです。
圧倒的大多数の信者の復活を「第一の復活」と呼ばずに、
患難期の殉教者だけの復活を「第一の復活」と呼ぶでしょうか?
こう言っては何ですが、患難前説の解釈に従うと、
このように考えると、
黙20:6の「この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である」という言葉は、
患難期の殉教者だけでなく、すべての時代の信者に対する言葉であるように思えます。
皆さんはどのように考えますか?