ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

荒野と神の守り マルコ1:13


 この箇所から、試練の中に置かれたときの励ましを受けたいと思います。

 
マルコ1:12~13・新共同訳
それから、“霊”はイエス荒れ野に送り出した。
エスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
 
 
 
「荒野」という場所には次のような含意があります。
 
 
当時の一般的な認識として、

悪霊どもは、公衆浴場、墓場、荒野などを好むと考えられていた。
 
それゆえ読者は、

エスがサタンの縄張りで闘っていることの緊迫感を読み取ったはずである。

                                (抄訳終わり)
 
 
 ですから日本的な言い方をすると、
 
 主イエスは敵(サタン)の土俵で相撲をとっていたわけです。
 
 しかし主イエスが直面していた危険性は、それだけではありませんでした。
 
 
 新改訳では「野の獣」という訳語になっています。
 
「野の獣」と訳してしまうと、自然界にいる動物たちという理解になる恐れがあります。
 
 しかしこれはセリオンというギリシャ語で、字義通りには「野獣」を意味します。
 
 また、比ゆ的には「凶暴性」という意味があります。
 
 ですから敵の土俵で闘ったことに加えて、
 
 野獣たちに襲われる危険の中に身を置いていたことになります。
 
 
「天使たち」の存在は、神による超自然的な守りを象徴しています。
 
 参考箇所を挙げます。
 
 
ダニエル6:22 
私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです
 
 
 この箇所を参考にすると、

 主イエスはダニエルと同じか、それ以上の神の守りの中にいたことがわかります。
 
 また野獣からの守りは、主イエスに罪がなかったことの暗示でもあります。
 
 
●あとがき
 
 皆さんも、霊的な荒野に置かれて、長期的な試練を受けることがあるかもしれません。
 
 肉の眼には、様々な危険が見えてくることでしょう。
 
 しかし神は、その只中で守ってくださいます。
 
 目に見える危険に恐れをなすことなく、
 
 主イエスのように、父なる神による守りに信頼しましょう。