ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

患難期に教会は地上に存在するのか?


 質問者さんから以下のようなご質問をいただきました。応答していきたいと思いますが、その前に質問者さんご本人にお願いがあります。
 
 もし私の記事を読むことによって、質問者さんの携挙に関する立場が変わり、それによって過去に体験された苦痛に耐えがたくなる可能性がおありでしたら、
 
 これ以上、この記事を読み進まないでください。また心の痛みが癒されるまで、携挙論に関する追及は休止してください。
 
 私は他の読者の方々への情報提供を考えて記事を書きますが、質問者さんを苦しめる意図はまったくありません。
 
 お読みになる場合は、自己責任でそうなさってください。 
 
 
黙示録3章までで教会時代は終わり、4章以降「教会」という言葉は出てこない
 
「教会」という言葉が出てこないのは、教会時代に救われたクリスチャンが大患難時代を通過しないからだと思います。


●応答1
 
 質問者さんからの最近のコメントに、黙示録310ギリシャ語エクに関するご質問もありました。
 
 それについては過去記事「ギリシャ語エクの解釈 黙示録310」で詳述していますので、そちらをお読みください。

 
 では、③の質問について応答します。
 
 教会という言葉は確かに出てきませんが、「わが民よ」という天からの呼び掛けはありますし(黙示録184)、「聖徒たち」が地上にいる描写はあります。
 
 その聖徒たちにまつわる箇所から、患難期において教会が地上にいる可能性が高いことを示す箇所をご紹介します。
 
 
キリストの花嫁
 
黙示録19:7~8 
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。
 
 
 7節では、キリストと花嫁の婚宴の時が来たことが宣言されています。
 
 この箇所を見ると、花嫁が着る「麻布の衣」は、「聖徒たちの正しい行い」であることがわかります。
 
 ということは、花嫁=聖徒たち ということがわかります。

 さらに、キリストの花嫁とは教会です。これはエペソ5:25~33などからも明らかです。

 するとこうなります。

 キリストの花嫁=聖徒たち=教会
 
 これは何を意味するでしょうか?
 
 患難時代や大患難時代に地上にいる「聖徒たち」、例えば黙示録13:7で、獣から戦いを挑まれる聖徒たちは、教会だということです。  

 黙示録1911ではキリストが地上再臨しますが、それは地上にいる教会が花嫁となる時が来たため、主が花嫁を迎えに行くのだと考えることができます。


天の軍勢

黙示録19:14・新共同訳
そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。

 また黙1914では、「天の軍勢」が「きよい麻布」を着て再臨のキリストと共に戦います。
 
 この天の軍勢は、いくつかの理由から、携挙された教会が空中()で合流したものと考えられます。
 
 まず「きよい麻布」と訳されているブシノスというギリシャ語は、198で花嫁が着る「きよい麻布」と同じ言葉です。
 
 ブシノスは新約聖書中で、黙示録18章と19章で5回使われているだけです。
 
 2回はバビロンで売られていた商品の「麻布」に使われ、残りの3回は1982回)と14節です。
 
 つまり、ブシノスは天使の着物ではないということです。ということは、花嫁の衣であり、聖徒たちの正しい行いである可能性が高いということです。
 
 また「天」と訳されているウラノスには、「空」という意味もあります。
 
 ですから「天の軍勢」は、「空にいる軍勢」と理解することもできます。

(「天の」をギリシャ語に忠実に訳すと、「天/空の中の」となる)
 
 これは1テサ417で空中に引き上げられた教会が、「天の軍勢」として再臨の主と合流し、共に戦うことになるのだと理解できます。
   
 ですから黙示録4章以降では、教会が「聖徒たち」「花嫁」「天の軍勢」と呼ばれていると考えることができます。

 
黙示録4章の「二十四人の長老」は携挙されたクリスチャンを表している

二十四人の長老は天上で礼拝をしていますが、黙示録6:9のクリスチャンは祭壇の下で休んでいるようにと言われています。

6:9のクリスチャンは、二十四人の長老とは別のグループで、二十四人の長老と同じ場所に行けないのは、まだ体が復活していないからではないでしょうか。

もしも、大患難時代の終わりに携挙があるとしたら、二十四人の長老と、6:9のクリスチャンが別々の場所にいるのはなぜでしょうか。
 
 
●応答2
 
 この質問に答えるには、まず「二十四人の長老」がどのような人たちなのかを明確する必要があります。
 
 過去記事「24人の長老」を引用して説明します。
 
 なお、以下の記事は英語サイト「THE 24 ELDERS」の翻訳ですが、引用元のサイトは既にリンクが切れているようです。


私はこの24人の長老たちは、教会を代表していると思います彼らは教会そのものというより、教会を代表する人々です。こう解釈することは、旧約聖書を見るなら、決しておかしくはありません。歴代誌24章では、ダビデ王が祭司を組分けして24人の代表者を選出しています。ペテロ2:9も、教会を「王であり祭司」と呼んでいます。この24人の長老は、王の祭司の総体を代表しているのです。座についていることは、何を意味するのでしょうか。白い衣を着ているとは、どういうことでしょうか。教会が、座や衣を受けるという約束はあるのでしょうか。

 黙示録3:21には、こうあります。「勝利を得る者を、わたしとともにわたしの【座】に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」

また黙示録3:5には、「勝利を得る者は、このように【白い衣】を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす」とあります。

 黙示録2:10は、「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの【冠】を与えよう」とあります。

 同じく3:11にも「わたしは、すぐに来る。あなたの【冠】をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい」と。

これらの御言葉は「座」「冠」「白い衣」に言及しており、黙示録4:4と完全に一致します。
                         
                         (引用終わり、強調はダビデ
 
 この論考の著者はこう言っています。
 
「この24人の長老たちは、教会を代表していると思います。彼らは教会そのものというより、教会を代表する人々です。」
 
「この24人の長老は、王の祭司の総体を代表しているのです。」
 
 私もこの見解は正しいと思います。
 
 つまり「二十四人の長老」は公同の教会の代表であって全体ではない、ということです。
 
 すでに死んで天国に行っているクリスチャンたちの一部が、「二十四人の長老」を構成しているのではないでしょうか。
 
 ですから天にいる二十四人の長老は、地上に教会が存在することを否定するものではありません。