千年一日説/The One Thousand Year Day その2
その1のつづきです。
聖書で「最後の日」「裁きの日」「主の日」という表現が使われる場合、それは字義通りのものであり、1000年間を1日と見なしていると考えてよい。
つまり神の思いの中では、御怒りの日というのは単一の日でもあり得るし、1000年間でもあり得るのだ。
この1000年間の1日には、ダニエル12:2やヨハネ5:29のように2つの復活が含まれ、マタイ25章のように2つの裁きが含まれる。
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2ペテロ3:7~8
7 しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
2ペテロ3:7の「不敬虔な者どものさばきと滅びとの日」という部分は、8節との脈絡の中で見るとき、裁きが千年間つづく可能性を示唆している。なぜなら「滅び」というのは、千年王国の終わりに起こることになっているからだ。
ジャミソンは、1000年間の1日について述べる場合、2ペテロ3:10との関連の中で考えている。
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
2ペテロ3:10
以下に彼の注釈を引用する。
ウォルヴードとロバート・カルヴァーの両名も、この聖句を字義通り1日に受け取っている。
しかしこの聖句が述べている出来事は、千年王国の最後に起こると考えている学者が多くおり、
では2ペテロ3:10が、1000年間の始まりについて述べていると共に、終わりについても述べているというのはどういうことなのだろうか。
その答えは、8節が述べる「1000年間の1日」と関係している。
繰り返しになるが、滅びは千年王国の終わりの1日で起こるのかもしれないが、いずれにしても主の日という「1000年間の1日」の中で起きるのである。
ペテロがあのような書き方をしているのは、そのためであろう。
2ペテロ3:10の「盗人」という言葉は、ふつうは携挙やパルスィーア(再臨)に対して使われるものだ。
しかしここでは「主の日」に対して使われており、「盗人」という言葉にあるこの二重の性質が、
千年王国の始まりである主の日と、天体などの焼失とを、1000年間の1日の中で起こるものとして結びつけている。
つづく