千年一日説/The One Thousand Year Day その3
筆者は患難後携挙説の立場から、「主の日」や「裁きの日」「最後の日」は単一の1日であると同時に1000年間でもあり、千年王国と重なる期間であると論じています。
以下は、その2からのつづきです。
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2ペテロ3:10
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
千年王国前再臨説論者であるテルトゥリアヌスも、10節の出来事が1000年間の1日で起こると考えていたのかもしれない。
「この世の終わりは、主の大いなる日であり、御怒りと報復の日であり、最後の日である。この日がいつであるかは人間には隠されており、ただ父なる神だけが知っている。しかし、しるしと不思議や諸要素の溶解、国々の敵対によって事前に知らされる。」
テルトゥリアヌスの用語の使い方に注目して欲しい。「最後の日」には「国々の敵対」と「諸要素の溶解」の両方が起きるが、「国々の敵対」と「諸要素の溶解」の間には、実際は1000年間の隔たりがある。
1000年間の1日という概念を取り入れることにより、復活や裁きについて述べている聖書箇所が、すべてつながることになる。
そして復活と裁きが神の御怒りによって始まり、白い御座の裁きによって終わることが明らかになる。
また(1000年間の1日という概念を取り入れることにより)、「主の日」や「主イエスの日」というものが、ローマ2:16の人々の隠れた事柄が裁かれる日と同じものであることがわかるようになる。
ゼカリヤ14章は、1000年間の隔たっているはずの出来事が、1日の間にいくつも起きている箇所である。
この箇所は、「主の日」が単一の1日であることを示す箇所であることは先に述べたが、この箇所には最後の日や再臨の日、千年王国なども含まれている。
以下の1節~5節は、最後の日を描写している。
見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。
2 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。3 主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。
ゼカリヤ14:1~5
2節の「わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる」の部分がハルマゲドンの戦いを指しており、4節の内容が再臨を示していることは明らかである。
14章の他の部分は千年王国を描写しており、特に9節は明確である。
その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。9 主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。10 全土はゲバからエルサレムの南リモンまで、アラバのように変わる。エルサレムは高められ、もとの所にあって、ベニヤミンの門から第一の門まで、隅の門まで、またハナヌエルのやぐらから王の酒ぶねのところまで、そのまま残る。11 そこには人々が住み、もはや絶滅されることはなく、エルサレムは安らかに住む。 ゼカリヤ14:8~11
ゼカリヤ14:7には「一つの日」という表現があり、その日は「主に知られている」とある。この日は、マタイ24:36の特定の1日を指している。
これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。 ゼカリヤ14:7
ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。 マタイ24:36
「一つの日」という表現が取られてはいるものの、この「一つの日」にはパルスィーア(再臨)と千年王国の両方が含まれている。
この「一つの日」という期間は、患難期の7年間ではなく、その後の1000年間を示している可能性が極めて高い。
以下のミカ1:3~4は、2ペテロ3:10とよく似ている。
見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。山々は主の足もとに溶け去り、谷々は裂ける。ちょうど、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。 ミカ1:3~4
ミカ1:3は、黙示録19:11~15の出来事を示しているように思える。一方、4節は2ペテロ3:10と似ている。
これもまた、1000年間の隔たりがあるはずの出来事が、同時に成就するものとして述べられている箇所と言える。
おわり