無千年王国説と千年一日説
この記事では、無千年王国説の聖書解釈を参照した上で、
千年一日説の立場から所見を述べます。
●無千年王国説
無千年王国説(アミレ)の聖書解釈については、
アミレの執筆を担当しているのは、
ホエケマ氏は、黙示録は7つのセクションで構成されていると解釈しています。
1~3章、4~7章、8~11章、12~14章、15~16章、17~19章、20~22章です。
そしてこれら7つのセクションは、それぞれが並行して書かれていると考えています。
それゆえ黙示録20:1は、「新約時代の初めに立ち返っている」と理解されます。
そして、この解釈が適切であることは、
黙20章にサタンの敗北が描かれていることから明白だとしています。
ホエケマ氏の理解では、キリストの初臨によってサタンは敗北しているからです。
それゆえ黙20:4~6で描かれているキリストの統治は、
再臨前の期間(現代も含まれる)を指していることが明白だとしています。
黙20:4~6の千年間の統治が、再臨後ではなく再臨前に起こるものであることは、
以下に挙げる聖書箇所からも確かだとしています。
マタイ16:27
人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
マタイ25:31~33
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
2テサロニケ1:7~10
苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです。――感嘆の的となられます。
つまりホエケマ氏の理解は、こういうことです。
マタイや2テサによれば、再臨と同じ日に不信者の裁きが行われる。
だから、再臨と不信者の裁きの間に1000年間のギャップがある黙20:4~6は、
再臨後のことではなく、別の時代(再臨前の時代=現代)のことを言っているはずだ。
●千年一日説の立場から見る
マタイや2テサの箇所を字義通りに解釈している点で、私はアミレに共感しています。
例えば2テサの箇所を字義通りに理解するなら、「その日」という特定の日に、
再臨と不信者への報復の両方が起こることは確かです。
ところが黙示録20章を見ると、
再臨と不信者の裁きの間には1000年の開きがあると書かれているわけですから、
アミレの信奉者が、黙20章の字義的解釈を避けたくなるのは理解できます。
しかしこの場面に千年一日説を持って来ると、問題が一気に解決します。
千年一日説では、2テサで述べられている「主の日」は、
1日であると同時に1000年間でもあるわけですから、黙示録と矛盾しなくなります。
●現状とのギャップ
私は、こんにちの霊的現状とアミレの黙示録解釈を比較したときに、
どうにも受け入れがたいギャップを感じます。
アミレによれば、21世紀の現代は千年王国の一部です。
黙20:3にあるとおり、サタンは「底知れぬ所」に投げ込まれている状態にあります。
ホエケマ氏の解釈によると、この意味は、①サタンは福音宣教を妨害できない、
②サタンはキリストの敵を集めて教会を攻撃することはできない、の2点です(注)。
注:The Meaning of the Millennium: Four Views, P162
しかし今日の霊的現実を見るかぎり、②の解釈はまったく当てはまりません。
16年は、2億1500万人という信じ難い人数が高度の迫害を受けた最悪の年でした。
世界各地で1329軒の教会が襲撃されたり、破壊されたりした…
(引用終わり)
アミレを信奉する方々は、この現実をどのように理解しているのでしょうか?
サタンが封じられているなら決して起こり得ないことが、世界中で起きています。
この現実と照らし合わせるなら、
アミレの黙示録解釈は、余りにも机上の空論過ぎるのではないでしょうか?