ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

黙示録の144,000人とは? その1

 
 黙示録7章と14章に登場する144000人について考えてみました。
 
 私は以下の理由により、144000人は実際のイスラエル民族を指していると思います。
 
 
イスラエル民族と解釈する理由
 
ヨハネ文書の中で「イスラエル」という語は常に実際のイスラエルの民を指している。
 
*黙7:4の「イスラエルの子孫のあらゆる部族」という表現を教会に置き換えるのは無理がある。
 
イスラエル人を裁きから守るため、「額に印をつけた」実例がある(エゼキエル9章)。
 
*12の部族名が挙げられているのに、これを教会に置き換えることは無理がある。
 
偶像崇拝をしたダン部族を除いていることは、忠実な12部族だけを選んで回復させる狙いがあると考えられる。教会に置き換えるなら、ダンを除いた意味が失われる(士師記18:30~31、1列王記12:28~30)。
 
*黙示録7:9の「大ぜいの群衆」が教会なので、別の集団として見られている144000人は実際のイスラエル民族と理解すべき。
 
*黙14:3で二十四人の長老(教会の象徴)と別の集団として区別されているので、144000人を教会と解釈するのは理に適わない。
 
旧約聖書には、イスラエル民族の回復を約束する多くの預言がある。
 
*イエス12部族の回復を約束している(マタイ19:28)。
 
ペテロが使徒1章でユダの代わりを補完した理由は、上記のイエスの言葉を信じ、十二部族が回復した際に、使徒が12人必要だと考えたためである可能性がある。
 
十二使徒たちは、明らかにイスラエルの復興を信じ、待ち望んでいた(使徒1:6、ヤコブ11、黙示録1:7)
 
 
 これらの理由を、何回かに分けて説明していきます。
 
 
ヨハネ文書における「イスラエル
 
イスラエル」という言葉は、ヨハネ福音書と黙示録で使われていますが、
 
 霊的なイスラエルという意味で使われている箇所は1つもありません。
 
 以下にそのすべての箇所を挙げます(とりあえず黙示録7:4は除外)。
 
 
ヨハネ1:31 
私もこの方を知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。
 
ヨハネ1:49 
ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
 
ヨハネ3:10 
エスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。
 
ヨハネ12:13 
しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
 
黙示録2:14 
しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行なわせた。
 
21:12 
都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
 
 
 このように、ヨハネが「イスラエル」という言葉を使う際、
 
 それを霊的なイスラエルという意味で使ったことは1度もありません。
 
 ですから、黙示録74の場合だけ「霊的なイスラエル」と解釈するのは、
 
 理に適いません。
 
 
イスラエルの子孫のあらゆる部族
 
黙示録7:4 
それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
 
 
 ヨハネは、「イスラエルの子孫のあらゆる部族」と書いています。
 
 黙示録の場合、比喩的な表現が多いのは事実ですが、
 
イスラエルの子孫のあらゆる部族」という表現の字義性は無視しがたいと思います。
 
 
額に印をつけた実例
 
 黙示録74で「印を押す」と訳されているギリシャ語はスフラギゾーといい、
 
 古代のギリシャ・ローマ社会では、

  所有権や保安を示す「法的署名」の意味がありました。
 
 黙示録7章では、「地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたち」(2節)
 
 から守られるために、144000人に印がつけられます。
 
 これと似たような状況が,、エゼキエル9章にも見られます。
 
 
エゼキエル9:1~4
この方は私の耳に大声で叫んで仰せられた。「この町を罰する者たちよ。おのおの破壊する武器を手に持って近づいて来い。」
見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって来た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らははいって来て、青銅の祭壇のそばに立った。
そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」
 
 
 エゼキエルの箇所で額にしるしをつけられているのは、
 
 エルサレムにいる主に忠実なイスラエル人です。
 
 武器を持った男たちから守るために、しるしをつけられます。
 
 エゼキエル書イスラエル人は、霊的イスラエルではなく実際のイスラエル人です。
 
 ですから黙示録の144000人が実際のイスラエルである可能性は、十分考えられます。
 
 つづく