患難前携挙説は警戒すべき教え
岡山氏はP61~P62で、「終末のラッパ」について論じています。
1テサ4:16の「神のラッパの響き」、マタイ24:31の「大きなラッパの響き」、
黙示録11:15の「第7の御使いが吹き鳴らすラッパ」は主の来臨を示している。
その際に信者は「朽ちない」体を受け取るが、
1コリ15:52は、そのとき「終わりのラッパ」が鳴ると述べている。
イエスはマタイ24章で、終末に起こる事件を次のように預言している。
①終末的苦難 マタイ24:4~28
②天変地異 同24:29
③キリストの来臨 同24:30
④ラッパによる神の民の招集 同24:31
それゆえ「空中への引き上げ」は、終末的苦難の時代の後である。
すなわち神の民は、「産みの苦しみ」としての終末的苦難を地上において受け、
その後、「雲の中に引き上げられ」(1テサ4:17)、来臨の主と「会う」。
そして地上に戻ってくる。
この「会う」(アパンテーシス)は、迎えに行って戻って来ることを意味する。
(引用終わり)
●アパンテーシスの意味
1テサロニケ4:17
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
岡山氏が述べている、アパンテーシスについて調べてみました。
また「主と会う」と訳されている部分を原文で見ると、次のように書かれています。
Ἁρπαγησόμεθα ἐν νεφέλαις
私たちは引き上げられる ~の中に 雲
εἰς ἀπάντησιν τοῦ κυρίου
~のために 出迎え 主の
直訳:主の出迎えのために、私たちは雲の中に引き上げられる
アパンテーシスはパピルスの中で、新任の行政長官の到着に関して使われている。
「この言葉の特殊な概念は、新たに到着した高官を公式に歓迎することだったようだ。」
(Moulton, Greek Test. Gram. Vol. I, p. 14).
アパンテーシスは、聖書中で3回しか使われていません。以下が残りの2箇所です。
マタイ25:6
ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
使徒28:15
以上のことから、アパンテーシスの意味が「出迎え」であることが明らかです。
つまり岡山氏の言うとおり、主が来臨されたとき、
信者たちは空中で主を出迎え、再び地上に戻るのです。
実際、文語訳は「空中にて主を迎える」と訳しています。
文語訳
後に生きて存れる我らは、彼らと共に雲のうちに取り去られ、空中にて主を迎へ、斯くていつまでも主と偕に居るべし。
●あとがき
患難前携挙説では、空中に引き上げられた信者は、そのまま天国に行き、
7年間の患難期を天で過ごすことになっています。
しかし1テサ4:16~17で、パウロが実際に言っていることは、
「主の出迎えのために、私たちは雲の中に引き上げられる」ということです。
つまり、出迎えた直後に、地上に戻ることが前提になっているのです。
天に連れて行かれるのではありません。
聖書を調べれば調べるほど、
患難前携挙説は、聖書の曲解に基づいていることがわかってきます。
岡山氏は、こう述べています。
「もし患難期前携挙説がただしいのなら、聖書における終末の苦難に対する数々の警告、
黙示録の幻による警告はすべて、教会とは無関係なものになってしまう。」(同書P64)
言い換えると、患難前携挙説は、
終末の警告の意味を、聖書から奪い去ってしまう教えであるということです。
そのような教えは、警戒すべきですね。