ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

悪霊に憑かれた男性は一人か二人か? マタイ8:28、マルコ5:2、ルカ8:27

 
 前回から新約聖書における聖書の現象」に関する記事を書きはじめました。
 
「聖書の現象」というのは、キリスト教進歩主義やリベラルから「聖書の矛盾」として批判される聖書箇所のことを言います。
 
 
マタイ8:28 
それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
 
マルコ5:2 
エスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。
 
ルカ8:27 
エスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。
 
 
 さて、今回の箇所は、しばしば取り沙汰される箇所だと思います。
 
 マタイの箇所では悪霊憑きの男性が「ふたり」出て来たと書かれていますが、
 
 マルコとルカの箇所では、「ひとり」という言葉は書かれていないものの、ひとりであることがわかります。
 
 英語の場合、名詞にかかる不定冠詞の有無がありますし、単語の綴りも変わりますので違いが鮮明になります。
 
 
ESV・マタイ8:28
And when he came to the other side, to the country of the Gadarenes, two demon-possessed men met him, coming out of the tombs, so fierce that no one could pass that way.
 
ESV・マルコ5:2
And when Jesus had stepped out of the boat, immediately there met him out of the tombs a man with an unclean spirit.
 
 
 ギリシャ語の場合も、名詞の語尾変化によってその単語が単数か複数かがわかるようになっていますし、マタイの箇所には「2つの」を意味する「δύο/ドゥオ」という言葉がついています。
 
 この違いをどう理解すればよいのでしょうか?
 
 
解決案
 
 Defending Inerrancyは、次のように説明しています。

 
 まず、極めて基本的な数学上の原則があります。その原則によって、このあからさまな矛盾は調和してしまいます。
 
 つまり、二人の人がそこにいるということは、必ず一人はいるということです。この原則に例外はありません。
 
 実際は、イエスのところにやって来た悪霊憑きは二人いたのです。
 
 マルコとルカが一人だと言っているのは、恐らくその一人が、もう一人のほうよりも何らかの理由で目立っていたからでしょう。
 
 しかし、マルコとルカが一人についてだけ述べているからといって、二人いたとするマタイの証言が否定されることにはなりません。
 
 なぜなら、二人いるところには、必ず一人はいるからです。このことに間違はありません。
 
 仮にマルコとルカが、一人だけしかいなかったと言ったのなら矛盾になります。しかし、「だけ」という言葉は本文に書かれていません。
 
 つまり、本文を変更しない限り、この箇所が矛盾しているとは言えないのです。
 
 
Defending Inerrancyは、ノーマン・ガイスラー博士が編集主幹を務める聖書の無誤性を主張する団体です。ガイスラー博士は「聖書の無誤性に関するシカゴ声明」の中心的編集者でもありました。
 
 
 次のサイトでも、上記と同じような説明がされています。
 
ゴット・クエスチョン・ミニストリーズ「Why are there two demon-possessed men in the Gerasene tombs in Matthew, but only one in Mark and Luke?」
 
 終わり