ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ステパノの混乱? その2 使徒7:15~16

 
 ステパノにまつわる「聖書の現象」については、こちらの記事で書いたばかりですが、実は他にもあります。
 
 どのような食い違いがあるのでしょうか?
 
 
*「聖書の現象」とは、キリスト教進歩主義やリベラルが「聖書の矛盾」だと批判する聖書箇所を言います。  
 
 
問題点と検証
 
使徒7:15~16 
ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの先祖たちも死にました。そしてシケムに運ばれ、かねてアブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓に葬られました。
 

問題点①

創世記50:12~13 
こうしてヤコブの子らは、命じられたとおりに父のために行なった。13 その子らは彼をカナンの地に運び、マクペラの畑地のほら穴に彼を葬った。そこはアブラハムがヘテ人エフロンから私有の墓地とするために、畑地とともに買ったもので、マムレに面している。

So his sons carried him up into the land of Canaan{gr.Chanaan}, and buried him in the double cave, which cave Abraham{gr.Abraam} bought for possession of a burying place, of Ephrom the Hittite{gr.Chettite}, before Mamre{gr.Mambre}.
 
ヨシュア24:32 
イスラエル人がエジプトから携え上ったヨセフの骨は、シェケムの地に、すなわちヤコブが百ケシタでシェケムの父ハモルの子らから買い取った野の一画に、葬った。そのとき、そこはヨセフ族の相続地となっていた。
 
And the children of Israel brought up the bones of Joseph out of Mizraim{gr.Egypt}, and buried [them] in Shechem{gr.Sicima}, in the portion of the land which Jacob bought of the Amorites who dwelt in Shechem{gr.Sicima} for a hundred ewe-lambs; and he gave it to Joseph for a portion.
 
 
①ステパノは、ヤコブがシケムの墓に葬られたと述べていますが、創世記50:12~13によると、ヤコブはマクペラに葬られました。
 
 シケムの墓に葬られたのは、ヨシュア24:32からヨセフであることがわかります。
 
ステパノ:ヤコブ→シケムの墓  
 聖書 :ヨセフ→シケムの墓ヤコブ→マクペラ)
 
 ステパノが読んでいた旧約聖書七十人訳だったはずです。七十人訳の創世記50:13には、「マクペラ」という地名が省かれており、「二重のほら穴」と書かれています。
 
 しかし、七十人訳ヨシュア記には、ヨセフがシケムが埋葬されたことが書かれていますので、ステパノはシケムの墓に葬られたのがヤコブではなく、ヨセフであったことを知っていたはずです。
 
 
問題点②

創世記33:18~19 
こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。
 
And Jacob came to Salem, a city of Secima, which is in the land of Canaan{gr.Chanaan}, when he departed out of Padanaram{gr.Mesopotamia} of Syria, and took up a position in front of the city. And he bought the portion of the field, where he pitched his tent, of Hamor{gr.Emmor} the father of Shechem{gr.Sychem}, for a hundred lambs.
 
 
②ステパノは、シケムにある墓はアブラハムが購入したと言っていますが、創世記33:18~19によるとヤコブが購入したものです。
 
 ステパノ:シケムの墓の購入者=アブラハム
  聖書 :シケムの墓の購入者=ヤコブ
 
 七十人訳の創世記33:18~19には、シケムの墓を購入したのはヤコブであると書かれているので、ステパノは墓を購入したのがアブラハムではなく、ヤコブであったことを知っていたはずです。
 
 
 
 これらの食い違いについて、幾つかのことが言われています。
 
①ステパノは感情的になって説教していたので間違えたが、ルカはそれに手を加えず、ありのままを報告した
②ステパノは、歴史的事実を要約して語った
③ルカ、あるいはルカが参考にした資料の筆者が間違って記した
④初期の写本写筆者がギリシャ語の代名詞を書き損じた
⑤当時のユダヤ人たちは、ステパノが語っているように理解していた
 
☆ ☆ ☆
 

 どれが正しいかの判断には、難しいものがあります。
 
 しかし、前の記事で述べた食い違いも含めれば、ステパノが間違ったのかもしれません。
 
 前の記事でも述べましたが、仮にステパノが間違って語ったのだとしても、だからといって聖書そのものが間違っていることにはなりません。
 
 聖書が語り手の間違いに手を加えず、そのまま掲載する事例は多数あるからです。
 
 一番わかり易いのは、サタンの偽りの言葉を聖書がそのまま報告していることです。
 
 ステパノが間違っていたのだとすれば、そこから私たちが学べることがあります。

 聖霊に満たされて語っていても、間違いを語ってしまうことはあるということです。
 
 それゆえ、聖書は次のように勧めています。

 
1テサロニケ5:21 
すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
 
1コリント14:29 
預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
 
 
 終わり