非科学的な表現は聖書の無誤性を損なうか?
聖書の無誤性が非難される場合、往々にして聖書中の非科学的な表現が引き合いに出されます。
現代に生きる私たちは、地球が太陽の周囲を公転しているのであって、その逆ではないことを承知しています。
ですから懐疑論者は、あたかも太陽が地球の周りを回っているかのような表現を取り上げて、聖書は間違っていると言うわけです。
次の箇所は、その一例と言えるでしょう。
詩篇113:3
日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
しかしこの箇所を調べてみると、懐疑論者の思惑とは少し違う事実が判明します。
ですから、「日の上る所」ではなく「東」と訳される場合もあります。
以下はわかり易い比較になると思います。
そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。
新共同訳
西では主の御名を畏れ、東では主の栄光を畏れる。主は激しい流れのように臨み、主の霊がその上を吹く。
このように、ミズラハは「日の上る所」と「東」のどちらにも訳せます。
ですから、ミズラハを使って太陽の動きを描写している聖句が、非科学的ということにはなりません。
なぜなら、現代でも私たちは、太陽が東から上ると表現するからです。
マボーには「入口、西」という意味もありますので、「西」と訳すことも可能ですし、「沈む所」と訳すことも可能です。
以下はその事例です。
ゼカリヤ8:7・口語訳
万軍の主は、こう仰せられる、『見よ、わが民を東の国から、また西の国から救い出し、
ゼカリヤ8:7・新共同訳
万軍の主はこう言われる。見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも、わたしはわが民を救い出し
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話を詩篇に戻します。
詩篇113:3
日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。
上記の説明からわかることは、この詩篇の著者は太陽の動きを主題にしてるわけではないということです。
著者が云わんとしていることは、「東から西まで、主の御名がほめたたえられるように」ということです。
つまり、世界中の人々が主なる神をほめたたえますように、ということです。
これのどこが間違いなのでしょうか?
この箇所の意味は、現代科学と何の矛盾もきたしていません。
●あとがき
聖書中にある、太陽の動きを描写していると思われる箇所は、科学的な観点から太陽が地球の周囲を回っていると教えているわけではありません。
それはむしろ、方角を示す表現なのです。
ですから、そういった箇所が科学的事実と異なることを教えているという非難は、妥当ではありません。
終わり