患難前携挙説は虚構~七〇人訳に基づく「患難期」の真実~
私たち現代のクリスチャンの多くは、患難期が7年間だと考えます。
しかし、終末論を調べてわかることは、歴史的解釈では患難期が3年半と考えられていることです。
事実、新約聖書には、患難期が7年間であることを示す箇所は1箇所もなく、すべての箇所が3年半を示しています。
黙示録11:2と13:5 「四十二か月の間」
黙示録11:3と12:6 「千二百六十日の間」
黙示録12:14 「一時と二時と半時の間」
では、なぜ患難期は7年間だと言われるようになったのでしょうか?
それはひとえに、ディスペンセーション神学によるダニエル9:27の誤った解釈のゆえです。
●七十人訳のダニエル9:27
ダニエル9:27
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。
ディスペンセーションによる患難前携挙説では、27節の「彼」は「荒らす忌むべき者」(反キリスト)だと解釈します。
しかし歴史的解釈では、「油そそがれた者」(ダニエル9:25、26)だと理解します。
後者の解釈が往々にして退けられてしまう理由は、契約が「一週の間」(7年間)しか続かないのはおかしいという理由からです。
しかし、七十人訳聖書のダニエル9:27を見ると、幾つもの点で現代の聖書と異なる表記がされています。
以下に、七十人訳のダニエル9:27に、英語の訳語が振られたものを添付しました。
ご一緒に見て行きましょう。
καὶ [and] δυναμώσει [to strengthen] διαθήκην [covenant] πολλοῖς [many], ἑβδομὰς [seven] μία [one]· καὶ [and] ἐν [in] τῷ [the] ἡμίσει [half] τῆς [the] ἑβδομάδος [seven] ἀρθήσεταί [to lift up] μου [My] θυσία [sacrifice] καὶ [and] σπονδή [libation], καὶ [and] ἐπὶ [upon] τὸ [the] ἱερὸν [temple] βδέλυγμα [abomination] τῶν [the] ἐρημώσεων [devastation], καὶ [and] ἕως [even as] συντελείας [completion] καιροῦ [time] συντέλεια [end] δοθήσεται [to give] ἐπὶ [upon] τὴν [the] ἐρήμωσιν [desolation].
引用元:Let’s Talk Bible
訳
彼は、一週、多くの者のために契約を強固にし、その週の半ばに、わたしの生贄と捧げ物を上げる。神殿の中に荒らす忌むべき者が現れ、終わりの時に荒らす者に終わりがもたらされる。
訳者の方の解説を含めて、上記を説明します。
まず、新改訳は「契約を結ぶ」と訳していますが、七〇人訳には「契約を強固にする」と書かれています。
また、現代の聖書には「一週の間」と書かれていますが、七〇人訳には「間」に相当する言葉はありません。
ですから、「契約」が7年間で終わるわけではありません。
これにより、契約の主体者を「油そそがれた者」と解釈することが容易になります。
次に、新改訳では「半週の間」と訳されていますが、七〇人訳には「週の半ばに」と書かれています。
日本語の聖書でも口語訳は「週の半ばに」、新共同訳は「半週で」となっています。
また、現代の聖書では、生贄と捧げ物を「やめさせる」(新改訳)あるいは「廃止する」(新共同訳)と訳されていますが、
これは、キリストの十字架を指していると思われます(ヨハネ3:14、同12:34の「上げる」を参照)。
また、七〇人訳の場合、生贄と捧げ物の手前に「わたしの/My」を意味する代名詞がついています。
ダニエル9:27は天使ガブリエルを通して語られた神の言葉ですので、代名詞は神を示していることになります。
つまり、生贄と捧げ物は神によるものだと、ガブリエルは言っているのです。
一方、患難前携挙説は、反キリストが生贄をやめさせると解釈しているので、七十人訳の記述と大きく異ります。
言うまでもありませんが、ダニエル9:27の前半は、キリストの公生涯と十字架を指しているのです。
最後に、現代の聖書には、荒らす忌むべき者が「翼」に現れると書かれていますが、七〇人訳には「神殿」と書かれています。
これは、マタイ24:15の「聖なる所」という主イエスの言葉と一致します。
●まとめ
七〇人訳のダニエル9:27をまとめますと、こうなります。
最後の一週に見るキリストと反キリストの対比
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~キリストの公生涯:3.5年~十字架→教会時代~反キリストの台頭:3.5年~
*ただし、教会時代は新約における「奥義」につき、預言時には未啓示
キリストは、70週の最後の一週に公生涯をはじめます。
そして、多くの者のために新しい契約を揺るぎないものとし、その週の半ばで神による生贄として十字架にかかります(へブル10:12)。
それを考慮すれば無理な描写ではありません。
例えば、主イエスはマタイ25:46で、「こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです」と言い、
呪いの裁きと祝福の裁きが同時に起こるかのように話しておられます。
しかし、黙示録20章を見るとわかるとおり、両者の間には1000年間の開きがあります。
御使いガブリエルは、最後の一週に起こる未来の出来事の中で、ランドマークのように目立つ重大なものをダニエルに伝えているのです。
70週の年数計算なども解説されており、それによると27節の「半週」が示すのは、主イエスの公生涯の3年半です。
●あとがき
そういうわけで、患難前携挙説のいう「7年間の患難期」という解釈は、まったくの誤りです。
聖書は3年半の大患難期についてしか述べておらず、7年間の患難期を証明する根拠は一つもありません。
いわんや、反キリストがイスラエルと平和協定を結んだり、しばらく後にそれを破るというのは完全なフィクションです。
ガブリエルが伝えているのは、メシアによる新しい契約の開始とその土台となる十字架です。
患難前携挙説は神のメッセージを、未来小説のように作り変えてしまっています。
人間による作り話を信じるのはもうやめて、神の言葉を信じましょう。
終わり