ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ヨハネの黙示録の正しい読み方

 
 私たちの多くは、黙示録を時系列的に理解しようとしてはいないでしょうか。
 
 例えば、7つの封印、7つのラッパ、7つの怒りの鉢は、それぞれ別の時期に起こる裁きだと考えていないでしょうか。
 
 しかし、時系列的な読み方では、黙示録を正しく理解することはできません。 
 
 バイブル・ツールボックスヨハネの黙示録」というサイトでは、次のように説明しています(運営:フィンランドルーテル福音協会)。
 
 
同じことをさまざまな角度から
 
ヨハネの黙示録」を正しく理解するためには、この書物に登場する多くの幻が、ある同じことをあらわしていることに気付く必要があります
 
ある幻の場合はある出来事をひとつの角度から描いたり、あるいはその出来事全体を見渡すようなイメージを与えたりします。
 
また、後からに出てくるもうひとつの幻が以前すでに扱った内容を新しい角度からさらに細かく描き出そうとしている場合もあります。 
                              (強調はブログ主)
 
 
 同様に、DAカーソンらが編集したニュー・バイブル・コメンタリーでは、「黙示録の構造」というセクションで、次のように解説されています
 
 
It appears that these three series are not to be viewed as occurring successively, but as basically three presentations of one period of judgment, since the last member of each series leads to the end of history.
 
(封印、ラッパ、怒りの杯)これら3つの裁きは、連続して起こるものと見るべきではなく、一つの期間に起こる裁きが、基本的に3度提示されていると見るべきである。なぜなら、それぞれの裁きの最後の部分が、歴史の終わりを示しているからである。

                          P1423、強調はブログ主) 

 

 この動画は、黙示録の解説をするものですが、この動画の615~くらいから、次のように説明されています。
 
 
So its more likely that John is using each set of seven to depict the same period of time between Jesus resurrection and future return from three different perspectives.
 
そういうわけで、ヨハネは、イエスの復活から再臨までの同じ期間を、別々の視点から描くために、7つで一組の(裁き)をそれぞれ用いている可能性か高いのです。
                    
                              (強調はブログ主) 

●解釈の事例
 
 正しい解釈の事例として、黙示録注解書ランキングで第2位にランクされている、

 ロバート・マウンス著「The Book of Revelation」を参考にして、

 黙示録11章の「二人の証人」の箇所を解釈してみましょう。
 
 なお、この箇所は、六番目のラッパの最後の部分です。
 
 
黙示録11:3~13
3 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」
4 彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。
5 彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。
6 この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。
7 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。
11 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。
12 そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
13 そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた。
 
                 ***
 
 5節と6節の描写から、この二人がモーセやエリヤをモデルにしていることは確かです。
 
 二人には、エリヤのように敵を火で焼き尽くす力がありました(2列王記110~)。
 
 また、モーセのように水を血に変えることができました(出エジプト71418)。
 
 いろいろな災害をもって、地を打つこともできました(同812)。
 
 預言者マラキは、「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす」と予告しました(マラキ45)。
 
 また、申命記1818には、「わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなた(モーセ)のようなひとりの預言者を起こそう」とあります。
 
 では、この二人の証人は何者でしょうか。ある学者は、終末時代に現れる偉大な預言者だと言います。
 
 しかし二人が使命を終えるや否や、「底知れぬ所から上って来る獣」が戦いを挑んで二人を殺します。
 
「底知れぬ所」とは、悪霊が行く場所です(ルカ831)。
 
 原文では「獣」に定冠詞がついていることから、聖書中で既に知られている存在であることがわかります。
 
 これは、ダニエル77以降に書かれている「反キリスト」を象徴する獣かもしれません。
 
 あるいは、黙示録13章や17章で詳述される獣のことかもしれません。
 
 ダニエル721で聖徒たちに戦いを挑む獣の角ように、この獣も二人の証人を殺します。
 
(原文では、獣が二人に対して)「戦争を起こす」と書かれていることから、この証人たちは個人ではなく、大きな集団であると理解すべきです。
 
 この場面は、この世の王国と証を立てる教会の間に巻き起こる勇壮なる最後の労苦です。
 
 また、「証人」という言葉には、殉教の含みがあります。
 
マルトゥース(証人)というギリシャ語の原義は「死によって証を立てる者」です。
 
 この最後の戦いのうちに見られるものは、暴力によって真理と義を打ち負かした歴史的大量虐殺に共通しているのです。
 
(中略)
 
 11節。神から出たいのちの息が、二人の証人にはいり、二人は足で立ち上がります。
 
 この描写は、エゼキエル37章の干からびた骨が神の息によって生き返る幻を彷彿とさせます。
 
 教会の復活は、命と死に対する究極的な権威が、神にあることを明示するものです。
 
 12節。二人の証人が勝利を収めて、敵の衆人環視の中、雲に乗って天に上ります。
 
 この証人たちの勝利は密かに起こる携挙ではなく、公かつ可視的に起こるものです。
 
*ブログ主は、この場面は、キリストにある死者の復活と生き残っている信者の携挙であり(1テサロニケ41617)、2テサロニケ21の「私たちが主のみもとに集められること」に相当すると考えています。
 
 13節。証人たちが天に上ると、大きな地震が起こります。それによって、エルサレム10分のが倒れ7000人が死に、生き残った人々は天の神を崇めます。
 
 エゼキエル38:19、20では、世の終わりの前に大地震が起こることが予告されています。
 
 ゼカリヤ14:1~4では、主の再臨の時にオリーブ山が東西に二つに割れるとあり、5節ではそれが地震によるものであることが暗示されています。
 
 
●あとがき
 
 黙示録11113は、六番目のラッパの内容の一部ですが、

 3年半の患難期におけるエルサレム周辺の教会の活躍と受難、そして再臨までを描いています。
 
 ディスペンセーション式の時系列的解釈に縛れていると、このような解釈はできません。
 
 私たちは、黙示録の読み方を見直す必要があるのです。
 
 終わり