パウロの教えと相容れない患難前携挙説
この記事では、パウロの教えと患難前携挙説の違いをごくシンプルに説明します。
落ち着いて考えれば、パウロの論理と患難前携挙説の主張が違うことがわかりますので、ご一緒に次の箇所を見てみましょう。
2テサロニケ1:4~7
4 それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。
6 神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、
7 また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。
テサロニケのクリスチャンは、この手紙が書かれた当時、迫害に遭っていました。
そのことは、4節に書かれています。
パウロは5節で、迫害が許される理由を説いています。
迫害は、「神の判定が正しいという証拠」だと言っています。
では、神の判定とはどういうものかというと、
つまり、クリスチャンが神の国に入るには、迫害に遭うことが必要なのです。
このことは、5節後半で念を押されています。
クリスチャンが迫害を受けるように召されていることは、ピリピ人への手紙にも書かれています。
つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。ピリピ1:29
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さて、今回のポイントは、7節にあります。
いわゆる「地上再臨」です。
再臨によって「休息/安息」に入る、というのがパウロの教えです。
一方、患難前携挙説は、再臨が起こる7年前に、教会は携挙されて天に連れて行かれると教えています。
クリスチャンは、再臨の時には地上にいないことになっています。
そのとき地上にいるのは、患難期の間に回心したユダヤ人信者だけです。
このように、パウロの教えと患難前携挙説との間には、相容れないものがあります。
私たちは、パウロを信じるか、患難前携挙説を信じるか、二者択一を迫られているのです。
終わり