イエスが行った7つのしるしとその意味 その4
6 盲人の癒し
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。
5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」
7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。
注1 バイブル・バックグラウンド・コメンタリー(p288)によると、当時の異邦人社会には、癒しのために「つばき」を使う風習があったという。主は「つばき」を使うことで、これから癒しを行うことを盲人に知らせた可能性がある。
「わたしは世の光です」 これは間違いなくキーフレーズ。
というのは、同じフレーズがヨハネ8:12にもあるから。
盲人の癒しの奇跡の背景にも、このフレーズがある。
主が云いたいのは、ご自分が「世の光」だということ。
NETバイブルのスタディー・ノートによると、「光」という表現はメタファーではなく、
そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。
しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
7 ラザロのよみがえり
32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」
35 イエスは涙を流された。
36 そこで、ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。主はどんなに彼を愛しておられたことか。」
37 しかし、「盲人の目をあけたこの方が、あの人を死なせないでおくことはできなかったのか。」と言う者もいた。
39 イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」
40 イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
41 そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。
42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
マタイ2:3
ルカ24:36~38
これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真中に立たれた。
彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。
ラザロのよみがえりにあるメッセージはこれ。
ヨハネ11:25
わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
1コリント15:55~57
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
…神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
終わり