パウロ書簡におけるストイケイオン その1
*一部加筆あり
新改訳2017は、コロサイ2:20~21を次のように訳しました。
新改訳2017
もしあなたがたがキリストとともに死んで、この世のもろもろの霊から離れたのなら、どうして、まだこの世に生きているかのように、「つかむな、味わうな、さわるな」といった定めに縛られるのですか。
一方、従来の新改訳では以下のとおりです。
新改訳・第3版
もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、 「すがるな。味わうな。さわるな。」というような定めに縛られるのですか。
新約中の意味は次のいずれかと思われる;(a)初歩的(ABC的、いろは的)知識、初歩、初歩的規則.ヘブ5:12、ガラテヤ4:3、9. (b)宇宙を構成する物質的要素、自然界の諸要素、Ⅱペト3:10. (c)天体、星辰―天空を構成する一つ一つの要素.(d)自然の守護の霊、悪霊、諸霊の世界を構成するもの.
(P544より)
新改訳2017は、(d)の「悪霊、諸霊の世界を構成するもの」の意味で訳したのでしょう。
一方、従来の新改訳は、(a)の「初歩的知識、初歩的規則」の意味で、「幼稚な教え」と訳したものと思われます。
どちらが正しい訳語なのかを調べる中で、この問題は思う以上に複雑であることがわかりました。
つまり、どちらが正しいかという二者択一の問題ではないということです。
幾つかの論考を読んだ上で、内容的に最も妥当と思われる論考に基づいて記事を書いていこうと思います。
以下の論考が記事の元になるものです。
Paul's Usage of ta stoicheia tou kosmou 著者:ゲイリー・デラッシュマット
●ストイケイオンの使用箇所
新約聖書において、ストイケイオンが使われているのは以下の7箇所です。
ガラテヤ4:3と9、コロサイ2:8と20、へブル5:12、2ペテロ3:10と12
このうち「もろもろの霊/幼稚な教え」と訳し得る箇所は、ガラテヤとコロサイの4箇所です。
つまり、パウロ書簡のストイケイオンの解釈が難しく、物議を醸しているわけです。
幾つかある見解を一つ一つ見ていきますが、長くなるので今回はその1つ目だけを見ることにします。
●イスラエルの律法説
まず初めに見るのは、ストイケイオンが「イスラエルの律法」を指すとされる説です。
この説の根拠は、次の箇所にあります。
ガラテヤ3:23・新共同訳
信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
ガラテヤ4:5・新改訳
これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。
これら2箇所の「律法」は、そこから解放されるべき教えとして論じられています。
ご自身の聖書を開いてお読みいただくとわかりますが、上記2箇所の「律法」は文脈上、ガラテヤ4:3の「この世の幼稚な教え」と深い関わり、あるいは共通点があります。
ガラテヤ4:3
私たちもそれと同じで、まだ小さかった時には、この世の幼稚な教えの下に奴隷となっていました。
「この世の幼稚な教え」も「律法」も、否定的な意味を持つもの、クリスチャンが留まるべきではないものとして論じられています。
●問題点
しかし「この世の幼稚な教え」と「律法」の両者を同義語とすることはできません。
その理由は次のとおりです。
一方、「律法」の出所は、ガラテヤ3:19に「御使いたちを通して」とあるとおり、神であることがわかります。
「幼稚な教え」(ストイケイオン)の出所が神でないことは、コロサイ2:8を見ると一層明確になります。
コロサイ2:8
あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。
パウロはストイケイオン(幼稚な教え)の出所が人間であって、キリストではないと明示しています。
ですから、ストイケイオンの指すものが「イスラエルの律法」であるとする説には明らかな問題があることになります。
従って、イスラエルの律法説を支持することはできません。