マタイ24章のエクレクトスと患難前携挙説
新改訳の最新版と従来版のマタイ24章を比較してみました。
新改訳2017・マタイ24:22、24、31
22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。
24 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。
24 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。
31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
従来の新改訳・マタイ24:22、24、31
22 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
一方、従来版では、「選民/選びの民」(ユダヤ人)と訳されていました。
どちらの訳語が正しいのでしょうか?
●文法的検証
エクレクトスそのものは形容詞ですが、定冠詞をつけることで名詞として使われています。
①選び出された、選ばれた、えり抜きの、特選の.②優秀な、抜きん出た;〔名〕特別な使命のために選ばれた人、選民としてのイスラエル、メシア、クリスチャン個人にも適用される. (P172)
辞書的な意味だけで判断するなら、「選ばれた者たち」と「選民/選びの民」のどちらも可能です。
この使われ方で判断する限り、マタイ24章のエクレクトスは信者全般を指しています。
そういうわけで、新改訳2017の「選ばれた者たち」(クリスチャン全般)が正しい訳語ということになります。
●携挙論への適用
上記の結果は、携挙論に適用可能です。
一例として、患難前携挙説をとる「サザエのお裾分け」と呼ばれるブログを検証してみましょう。
マタイ24章の解説において、ブログ主は次のように述べています。
マタイ24:31については、次のように説明しています。
マタイ24:31ー人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
中略
患難前携挙説に馴染みのない方のために、簡単に説明します。
患難前携挙説では、教会は患難期の初めから地上に存在しないことになっています。
なぜなら、患難期の初めに教会の携挙が起こると教えているからです。
実際、上記の引用の中でもマタイ24:31について「旧約時代の義人たちを復活させ」と
説明しています。
つまり、患難前携挙説の信奉者にとっては、患難期全体においてクリスチャン一般が地上にいてはならないのです。
しかし、主イエスは、そう教えていません。
それは、マルコの並行記事を見れば一目瞭然です。
マルコ13:27・新改訳2017
そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たち(エクレクトス)を四方から集めます。
この直後に、主イエスは次のように語っています。
マルコ13:37・新改訳2017
わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。
すなわち、マタイ24:22、24、31のエクレクトスはクリスチャン全般を指しているということです。
ですから、主イエスは、患難期の最後までクリスチャンが地上にいることを前提にしているのです。
●まとめ
これまで述べてきたとおり、文法的に見ても、並行記事との比較で見ても、マタイ24:22、24、31のエクレクトスはクリスチャン全般を指しています。
新改訳・従来版の翻訳者たちは、ディスペンセーション神学の影響を受けていたのだと推察します。
しかし、新改訳・最新版はその影響を抜け出したので、正しく翻訳できたのでしょう。
おわり