ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

七十人訳におけるビアゾーの使用法とマタイ11:12

 
 この記事は、前回の続編です。
 
 前回も述べましたように、マタイ11:12で「激しく攻められている」と訳されたギリシャ語ビアゾーは、中動態と取ることも可能ですし、受動態と取ることも可能です。
 
 どちらに取るかで、聖句の意味が変わります。
 
 ビアゾーについて調べていたところ、七十人訳では、ほとんどの場合が中動態であることがわかりました。
 
 それゆえこの記事では、マタイ11:12ビアゾーも中動態である可能性を高める根拠として七十二訳におけるビアゾーの使用法を取り上げます。
 
 以下が、ビアゾーが使われている七十人訳の箇所です(外典は除く)。
 
 強調部分が、ビアゾーに相当します。
 
 また、聖句の下部にはビアゾーのパーシング(文法解析)を添えました。
 

創世記33:11
どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。」ヤコブしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
 
ἐβιάσατοエビアサトー
Parse: Verb: 1Aor Mid imp 3rd Sing:第一アオリスト・中動態・命令形・三人称・単数
 
 
申命記22:25
もし男が、野で、婚約中の女を見かけ、その女をつかまえて(直訳:強要して)、これといっしょに寝た場合は、女と寝たその男だけが死ななければならない。
 
申命記22:28
もしある男が、まだ婚約していない処女の女を見かけ、捕えて(直訳:強要して)これといっしょに寝て、ふたりが見つけられた場合、
 
βιασάμενοςビアサメノス
Parse: Verb: Aor Mid Part Nom Sing Masc/アオリスト・中動態・分詞・主格・単数・男性
 
 
2サムエル記13:25
すると王はアブシャロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全部が行くのは良くない。あなたの重荷になってはいけないから。」アブシャロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。
 
2サムエル記13:27
しかし、アブシャロムが、しきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全部を彼といっしょに行かせた。
 
βιάσατοエビアサトー
Parse: Verb: 1Aor Mid imp 3rd Sing/第一アオリスト・中動態・命令形・三人称・単数
   
            
エステル記7:8
王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれた。
 
βιάζ:ビアゼー
Parse: Verb: Pres Mid/Pass Ind 2nd Sing:現在・中動態/受動態・直接・二人称・単数


七十人訳におけるビアゾーの中動態
 
 ご覧とおり、エステル記を除くすべての箇所はいずれも中動態です。

 エステル記は受動態とも取れますが、同様に中動態とも取ることが可能です。
 
 さて、マタイをはじめとする聖書筆者は、七十人訳に親しんでいました。
 
 また、福音書を含む新約聖書への引用の多くも七十人訳からです。
 
 従って、マタイ11:12のビアゾーの使用法も、七十人訳のそれと似かよっている可能性が考えらます。
 
 ますは、ビアゾーの中動態が七十人訳の中でどのような意味で使われているかを見てみましょう。
 
 Greek Documentsによると、七十人訳におけるビアゾーの中動態の意味は次のとおりです。
 
Middle:中動態
to apply force:力を加える
to exert force and pressure on someone:力を使って人に圧力をかける
to urge, insist 〔人に~するよう強く〕促す、〔しつこく〕要求する
to put up resistance:抵抗する
                       出典:Geek Documents βιάζω
 
 
マタイへの適用
 
 次に、上記で示したビアゾーの意味をマタイ11:12に適用してみましょう。
 


マタイ11:12
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています(ビアゾー)。そして、激しく攻める者たち(ビアステース)がそれを奪い取っています
 
 
激しく攻められています」がビアゾーですので、この部分を七十人訳におけるビアゾーの中動態の意味と置き換えてみます。
 
 
マタイ11:12前半の別訳
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は(人々に)強く要求しています
 
 
 続いて、12節後半の激しく攻める者」の部分について考えたいと思います。 
 
 残念ながら、激しく攻める者」と訳されたビアステースは七十人訳に使われていません。
 
 しかし、ギリシャ語辞典によると、ビアステースの含意は以下のとおりです。
 
positive assertiveness; used of the believer living in faith ("God's inworked persuasions") guiding and empowering them to act forcefully i.e. "fired up" by God to act by His revelation.
いい意味での積極性(を示す言葉);信仰に生きる信者に関して使われる。「神による内なる説得の働き」を示す言葉で、信者を導いたり、強めたりして力強く行動させる。すなわち、神によって「燃やされて」、神の示しによって行動する(者のことを言う)。
           
                         出典:HELPS Word-studies
 
 この含意を、マタイの後半に当てはめてみましょう。

 すると、全体でこんな感じになります。
 
 
マタイ11:12の別訳
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は(人々に)強く要求しています
そして、神に燃やされて力強く行動する者たちがそれを奪い取っています
 
 
 ちなみに、「奪い取っている」と訳されているのはハルパゾーというギリシャ語です。
 
 この言葉については、織田昭先生によるハルパゾーの説明を抜粋します。
 
①ひったくる、強奪する、略奪する、奪い取る;マタ11:12、ハルパゾーシン アウテーン、奪い取るくらいの熱意と勢いで「天の支配」を頂こうとしている
                           
                   出典:「新約聖書ギリシア語小辞典」P74 
                            
●おわりに
 
 最後に、並行記事のルカ16:16と上記の別訳を並べます。
 
 両者を比較すると、内容的に酷似していることがお分かりいただけると思います。
 
 
ルカ16:16
律法と預言者はヨハネまでです。それ以来、神の国の福音は宣べ伝えられ、だれもかれも、無理にでも、これにはいろうとしています。

マタイ11:12別訳+13 
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は(人々に)強く要求しています
そして、神に燃やされて力強く行動する者たちがそれを奪い取っています
ヨハネに至るまで、すべての預言者たちと律法とが預言をしたのです。
 
 
 もしかしたら、マタイはこのような意味でこの聖句を書いたのかもしれません。
 
 七十人訳を参考にすると、このような理解が可能です。
 
 おわり