ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

マリヤの捧げ物 その3

3.ユダはマリヤの行動を浪費だと思った

ユダの抗議を思い出してください。この箇所の並行記事によれば、他の弟子たちもユダと同じ反応をしました。彼らは何と言いましたか?「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。」

「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。・・・貧しい人たちに施しができたのに。」

マリヤの献身による驚くべき行動は、弟子たちの内面をあばきました。

貧しい人や虐げられている人を助けることは、神の心に叶う行為です。旧約聖書を読んでみてください。貧しい者に対する神の心遣いであふれています。確かに貧者の救済は極めて重要ですが、イエス・キリストご自身の価値に優るものではありません。どんなに高貴な奉仕でも、キリストご自身よりも大切であるということはありません。イエス・キリストはではなく、「奉仕」を神としてしまうことがあるということを覚えてください。

聖書の記事の中で、マリヤが責めを受けるのはこれで2度目です。そしてここでもマリヤは、自分では弁解しません。またもやイエスが、彼女を弁護しているからです。イエスは言いました。「(彼女を)そのままにしておきなさい。わたしのためにりっぱなことをしてくれたのです。」

エスが意味したことはこういうことです。「わたしはそれにふさわしいのです。わたしは、いつまでもあなたがたといるわけではありません。ですから、わたしはその香油の価値に相応なのです。」

弟子たちはそれを無駄遣いだと言いましたが、イエスやマリヤにとっては、決して無駄なことではありませんでした。

無駄なこととはどのようなことでしょうか。必要以上に何かを捧げることです。

実際にユダが意味したことは、「イエスにそんな価値はない」ということだったのです。