ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「クレメンスの手紙 コリントのキリスト者へ(Ⅰ)」を読んで  その1

「クレメンスの手紙 コリントのキリスト者へ(機法廚鯑匹鵑

●クレメンスとは?
アレクサンドリアのクレメンス(150年?-215年?)は2世紀の人物で、初期キリスト教を代表する神学者の一人。エジプトのアレクサンドリアで活躍したため、この名で呼ばれる。ギリシア教父と呼ばれる一群の神学者の一人で、オリゲネスとならんでアレクサンドリア学派の代表的な神学者である。

クレメンスが司祭であったかどうかも定かではない。エウセビオスはクレメンスが「長老」であったと記しているが、長老というのが教会における職階を意味するのか、単なる敬称なのかが定かではないからである。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)


●クレメンスの手紙
クレメンスの手紙は非常に長いので、特に自分が気になった箇所だけを取り上げる。

16章1節
「キリストは心のへりくだった者たちの一人であられ、その群れの上に自らを高め誇るような者らに属されはしない。」


感想1:「群れの上に自らを高め誇るような者」というフレーズに触れたとき、私はこんにちの教会の牧師を連想してしまった。もちろん、すべての牧師がそうではない。しかし、群れの上に君臨している牧師が少なからずいることは事実である。


●聖書
エスはこう言われた。
「異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。」(マタイ20:25~26)

エスの一番弟子であったペテロも、教会のリーダーたちに対してこう言っている。
「あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく」(汽撻謄蹌機В魁法

パウロもこう書いている。
「私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく」(競灰螢鵐硲院В横粥法


●実情
ところが実際のところ、教会や教団、グループの中では上下関係や力関係が存在している。それはキリストの体というよりも、この世の企業にそっくりなのだ。

社長→管理職→平社員  
主任牧師→副牧師・伝道師→平信徒


●聖書で教えられているリーダーの姿

*「仕える者」「しもべ」 マタイ20:26、27
*「模範」 汽撻謄蹌機В
*「羊飼い」 エペソ4:11(「牧師」と訳されているギリシャ語はpoimenで、羊飼いの複数形。)


●まとめ
2世紀のコリント教会が抱えていた問題は、こんにちの教会の問題でもあることがわかる。クレメンスが「キリストは心のへりくだった者たちの一人」だと言っているように、私たちもへりくだりたい。特にリーダーはその「模範」となるよう御言葉によって指示されていることを覚えてほしい。


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