トッド・ベントリーと天使 その2
その1ではベントリーの歪んだ天使観を見ましたが、この記事ではエマの続編を見た後に、聖書と照らし合わせてエマが神の天使かどうかを考察します。
●エマの続編
I believe Emma released a financial and prophetic anointing in that place. That was the first angel that I have ever seen in the form of a woman. Some angels I’ve seen seemed like they were neither male nor female. However, Emma appeared as a woman who was like a Deborah, like a mother in Zion. When she came, she began to mentor, nurture and opened up a prophetic well. The people in the church began having trances and visions and the pastor began getting words of knowledge and moving in healing. That congregation also saw more financial breakthrough than they had ever seen before.
私は、エマが経済的油注ぎと、預言の油注ぎを集会の場に解き放ったのだと思います。女性の姿をした天使を見たのは、あの時が初めてでした。私が見たことのある何人かの天使は、男性でも女性でないように見えました。しかしエマは女性の姿で現れ、デボラのようでした。シオンの母のような感じです。エマはやって来ると、預言の指導や養成をしはじめ、預言の井戸が開かれました。その教会の人々は恍惚状態になり、幻を見ました。その教会の牧師は知識の言葉(の賜物)を受け、癒やしのわざをしはじめました。またその教会は、未だ嘗てない経済的な打ち破りも体験しました。
…We need to pray for the Father to give us financial angels for our lives, our church and region. With this angelic assistance, we will prevail and overcome the warfare trying to hold back our financial breakthrough. Some of you don’t know how to use the angels in intercession like this. You don’t even know whether it’s OK or not….”
私たちは、自分の人生や教会、地域社会に経済の天使を遣わしてくださるよう父なる神に祈る必要があります。天使の支援があるなら、私たちは経済の打ち破りを妨げている戦いに勝利できます。みなさんの中には、このような天使によるとりなしの用い方を知らない人もいるでしょう。それが正しいことがどうかすら、知らないのです。・・・
(引用終わり)
疑問点
トッド・ベントリーの女性天使エマは、果たして本当に神が遣わした天使でしょうか。
1)エマという天使は女性だとのことですが、聖書では、天使が女性として現れている箇所はありません。
一部の人は、セカリヤ5:9の二人の女は、女性の天使だと考えています。
ゼカリヤ5:9(新共同訳)
わたしが目を留めて見ると、二人の女が翼に風を受けて出て来た。かの女たちはこうのとりの翼のような翼を持ち、地と天の間でエファ升を運び去ろうとしていた。
しかしこの箇所の意味について、あるサイトは次のように説明しています。
The problem is that the “women” in this prophetic vision are not called angels. They are called nashiym (“women”), as is the woman in the basket representing wickedness in verses 7 and 8. By contrast, the angel that Zechariah was speaking to is called a malak, a completely different word meaning “angel” or “messenger.” The fact that the women have wings in Zechariah’s vision might suggest angels to our minds, but we must be careful about going beyond what the text actually says. A vision does not necessarily depict actual beings or objects—consider the huge flying scroll Zechariah sees earlier in the same chapter (Zechariah 5:1–2).
問題はこの預言的な幻の中の「(二人の)女」が、天使と呼ばれてはいないことです。彼女たちはナシュリム「女」と呼ばれています。7節と8節では、女は「罪悪」を表していて、エパ枡の中に閉じ込められています。ゼカリヤに語り掛けている天使に使われているヘブル語はまったく別のマルクという言葉で、「天使」や「御使い」を意味します。幻の中の女たちには翼があり、天使であるかのように思えてしまいますが、聖書本文が意味していることを超えないように注意しなければなりません。幻の場合、いつでも実在の存在や実在の物体を表現しているとは限らないからです。セカリヤ5:1~2の(約10メートルの)巨大な巻物が飛んでいる描写について考えてみてください。
(引用終わり)
2)エマが教会の人たちに預言の仕方を教えたとベントリーは言っていますが、天使が神の真理を教えることはありません。
コルネリオに天使が現れペテロを呼ぶように指示しましたが、福音の真理を語ったのはペテロです。
そして何よりもイエスご自身の命令によれば、真理を教える使命を帯びているのは天使ではなく、私たちクリスチャンです。
マタイ28:20
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
3)ベントリーは、エマが光り輝いていたと描写しています。
エゼキエル書にルシファーの起源がケルブであったと書かれているとおり、サタンは神の天使とそっくりの振る舞いをすることができます。
エゼキエル28:14(新共同訳)
わたしはお前を翼を広げて覆うケルブとして造った。お前は神の聖なる山にいて火の石の間を歩いていた。
(新米標準訳)
You were the anointed cherub who covers,
訳
お前は油注がれて、覆う者であるケルブであった。
このように、堕落する前のサタンはケルブでした。それゆえパウロは、サタンの能力について次のように言っています。
第二コリント11:14
しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
また、偽の天使が偽りの啓示を伝える可能性も示唆されています。
ガラテヤ1:8
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
●結論
ベントリーは、天使をとりなしに利用すべきだと教えていますが、聖書には、そのような教えはありません。
逆にイエスは次のように教えています。
ヨハネ14:13
わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。
エマが聖書と食い違う振る舞いをしている以上、彼女は神の御使いではなく、サタンである可能性が無限に高いと言わざるを得ません。
●偽の働き人としるしや不思議の意味
シド・ロスの超自然の世界:https://www.youtube.com/watch?v=T0mF9y5tdAA
上記の動画を見ていくと、50秒くらいから演壇上に、ベントリーのミニストリーで足の骨折が癒やされたという女性が登場し、癒やしの前と後のレントゲン写真を持参して、癒やしが本物であることを証しています。
彼を通して癒やしが起きていること自体は否定するつもりはありません。なぜかというと、聖書が次のように述べているからです。
申命記13:1~3
あなたがたのうちに預言者または夢見る者が現われ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう。」と言っても、その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。
この箇所に「しるしと不思議が実現して」とあります。聖書は、偽の働き人でもしるしと不思議が起きると言っています。彼らは本当に起こるしるしと不思議によって神の民を欺こうとするのです。
しるしや不思議を追い求め、天使に魅了されている方々には、ぜひこれらのことについて考えていただきたいと思います。
今の時代、私たちは聖書通りに主を愛するかどうか、試されているからです。
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