ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

祭司の役割(その2)

●教会はキリストの体

「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」汽灰螢鵐硲隠押В横


「からだ」という表現は、聖書全体の中でも、教会に関する最も重要な説明であることは間違いありません。パウロはキリストの教会を、人間の体になぞらえています。この表現は、教会の性質をとても巧みに説明しており、教会が実際的にどのように機能するかを見事に表しています。

注意していただきたいのは、パウロが、私たちはキリストの体の「ようだ」と言っているのではなく、(キリストの)「体だ」と言い切っている点です。凄いではありませんか!私たちは、キリストの体そのものなのです。キリストがかしらで、私たちはその体なのです。キリストと体は一体です。私たちは体の器官であり、部分であり、臓器であるわけです。ひとり一人が存在すべき場所、役割を果たすべき適所が体の中のどこかにあるということです。

汽撻謄蹌押В気蓮∋笋燭舛論犬韻覯箸鮃柔する、生ける石だと言っています。(人工的に造った)ブロックではありません。ブロックは同じ形で、同じ大きさ、同じ性質をしています。しかし石というものは、一つひとつが違っておりユニークなのです。私たちは個人であると同時に、同じ一つの体に中に存在しているのです。愛のうちに生き、活動しているのです。多様性を持っていますが、一体です。一つの器官が苦しむと、私たちみなが苦しみます。一つの器官が喜ぶと、私たちみなが喜びます。私たちは自分の命を含めて、すべてのものを共有しているのです。これこそ生ける共同体であり、キリストの体です。ひとり一人に同じ価値があり、等しく必要とされています。誰か一人だけが舞台を独占すべきではありません。全員が平等に、体の働きに関与すべきです。もちろん、全員が同じ役割を果たすわけではありません。神は多様性を好まれるからです。


つづく


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