ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

災害と神の御心

災害と神の御心

「町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか。」アモス3:6b

「わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。」哀歌3:38

●災害は神の決定による
災害は、基本的には神が定めた自然界の法則によって起こるものです。しかし聖書を見ると、それ以外に、神やサタンの意志によって災害が引き起こされることが書かれています。

クリスチャンたちの中には、この世界で起こる悪いことを、すべてサタンのせいにする方々がいます。イエスさまは優しい愛なる方だから、災害を起こして人間を苦しめたり殺したりするはずがないと考えるのでしょう。

しかしそれらの方々も、イエスガリラヤ湖の嵐を静める力を持っていることは知っているはずです。ですからどこかで災害が起きた場合、イエスがその災害を止めなかったことを認めなければなりません。

またイエスは「雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません」と述べています(マタイ10:29b)。ですから、災害によって多くの人間が死んだ場合、父なる神がそれを許可したことに間違いはありません。

サタンが災害を起こす場合でも、神がそれを許可するからこそ起こせるのです。ヨブ記を見ればわかるとおり、サタンは神の許可なしに活動することはできません。
 
悪いことをサタンのせいにする考えの問題点は、あたかも神が力不足で、ご自分の願いに反することをしでかすサタンを食い止められないかのように考えることです。

しかし実際のところ、神は唯一の主権者であり宇宙の支配者です(Ⅰテモテ6:15)。サタンは人間に比べれば遥かに賢く力がありますが、神の被造物の一つに過ぎません。神の知恵と力、存在は無限ですが、サタンのそれらは有限です。サタンが神に太刀打ちすることはできません。

ですから災害が起きた場合、積極的な場合と消極的な場合を合わせて、すべて神の決定によるのです。上記の御言葉は正しく、差し引くべき部分は少しもありません。

●重要なこと
そこで私たちクリスチャンにとって重要なことは、なぜ神が災害を起こしたかを知ることです。神は何の目的もなく、気まぐれで行動することはないからです(詩篇115:3)。

私は、遠くない将来、神がこの日本を祝福すると思います。災いを起こした後で祝福するのは、聖書に書かれている神のパターンだからです。

この国に、救いに定められた人々がどれくらいいるか私にはわかりませんが、それらの人々が福音を聞いて救われるでしょう。

私たち、先に救われた者たちは、そのために備えるべきだと思います。ぶどう畑で働くのです。
 
その備えの内容は個々人違うでしょうから、神に聞かなければなりません。
 
お一人おひとりご自分がどうすべきか、神の導きを求めて祈りましょう。神はあなたを通して、祝福を現してくださいます。