ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【同調記事】女性牧師は聖書的なのか? 後編



 
 前回は、男尊女卑の社会のただ中で、パウロが、女性も教えを受けるべきだと勧めていることを述べました。この記事では、それ以降の難しい部分を取り扱います。
 
 
第一テモテ21115
11 女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。
12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。
13 アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。
14 また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。
 
 
●創造の秩序(夫と妻)の問題
 
 上記の箇所で「女」と訳されているギリシャ語はグネイという名詞で、「女」「妻」などを意味します。
 
 「男」と訳されているアネヤルは「大人の男性」を意味し、「夫」という意味も含まれます。
 
 それゆえ以下の箇所では、グネイとアネヤルが「妻」と「夫」と訳されています。
 
第一コリント14:33b~35
聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
もし何かを学びたければ、家で自分のに尋ねなさい。教会で語ることは、にとってはふさわしくないことです。
 
 
 1テモテの箇所も、上の1コリ14章や1コリ11章のベール(被り物)の箇所と同じように、創造の秩序に則って語られています。
 
 男尊女卑ではなく、創世記2:18でアダムの「助け手」として創造された役割の違いです。
 
 聖書に一貫して流れている創造の秩序は、現代でも変わっていません。創造の秩序を否定するなら、イエスによる結婚の教えも否定することになります。


 
「教える」=女性教師になる 
 
 12節で「教える」と訳されているギリシャディダスコーには、「教師になる」「教師の職務を果たす」「教師として行動する」という意味があります。
 
 ゆえにマッカーサー・バイブル・コメンタリーは、「この動詞は、『教師になる』と訳したほうが良い」と述べています。
 
 また同コメンタリーは、使徒1826のプリスキラとアクラやテトス234を根拠に挙げ、聖書は女性が教えることを完全に禁止しているのではなく、牧師や教師の職に就くことを禁じているのだとコメントしています。
 
 それゆえ「静かにしていなさい」というのも、教師として教会内で教えないことを意味しているのであり、黙って口を開かないことではないと述べています。
 
 
 エクスポジターズ・バイブル・コメンタリーはこうコメントしています。
 
女性たちは従来、家庭においても教会学校においても、子供たちを教育するという大きな役割を果たしてきた。女性がいなかったなら、教会は何もなし得なかったであろう!
 
  
●まとめ

 聖書が述べているのは、教会内においては女性クリスチャンは何も語れない、ということではありません。

 あくまで大人の男性信者に対して教義を教える、という行為をしないよう教えているのです。

 その他の奉仕をすることは、むしろ多くの箇所で勧められています。女性の方々には、ますます活躍していただきたいですね。

 
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