ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

キリストが文書を書き残さなかった理由

 
 根源的な質問です
 なぜイエスキリストや仏陀は書物を残さなかったのでしょうか?
 
 上記のようなご質問をいただきましたので、私なりにお答えいたします。 
 
 ただし、ブッダについてはお答えできかねます。
 
 私はキリスト教徒ですので、ブッダについては、その筋の方にご質問ください。
 
 
聖書全体がキリストによる文書
 
1テモテ316 
聖書はすべて、神の霊感によるもの、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
 
 
 新約聖書の「テモテへの手紙第一」という書物の中に、上記のような一節があります。
 
 この「聖書はすべて、神の霊感によるものという表現の意味を説明いたします。
 
 
 この箇所における聖書とは、直接的には旧約聖書を指しております。
 
 しかし神学的には、新約聖書も含まれます。
 
 ですから、旧新約聖書全体が、神の霊感によって書かれた書物です。
 
 
 次に、「神の霊感の意味を説明いたします。
 
 これは神の霊が、聖書を執筆した人々の思いの中に働き、
 
 使用すべき言葉や、書くべき内容を一言一句導いたことを意味しております。
 

 イエスの一番弟子ペテロは、こう説明しています。
 
2ペテロ1:21 
ぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです
 
 
 この箇所の「預言」とは、旧約聖書の預言書のことです。
 
 預言は口述の場合もありましたが、記述されたものも数多くあり、
 
 それが旧約聖書の多くの部分を構成しています。
 
 預言書は新約聖書にもあり、後述する「黙示録」がそれに当たります。
 
 
 さて、ここで三位一体という概念が必要になります。
 
 聖書の神には、神格(人格)が三つあります。
 
 父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神です。
 
 聖霊とは、神の霊の別の呼称です。
 
 この三つの神格が、常に一人の神を構成しております。
 
 父=キリスト=聖霊 ということです。 
 
 
 それでは話を戻します。
 
 三位一体論をとおして「聖書はすべて、神の霊感によるものという表現を考えますと、
 
 「聖書はすべて、キリストの霊感によるもの」と、言い換えることができます。
 
 この意味で、キリストがいろいろな人物に聖書を書かせた、
 
 あるいは代筆で聖書を著した、と言えます。
 
 
実例
 
黙示録1:1 
イエス・キリストの黙示。これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すためキリストにお与えになったものである。そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。
 
 
 キリストが代筆で聖書を書いたことの、わかり易い実例として黙示録があります。
 
 上記の書き出しを見てわかることはこうです。
 
 神 ⇒ キリスト ⇒ 御使い(天使) ⇒ 代筆者(ヨハネ
 
 キリストは直筆していませんが、著者であることに変わりありません。
 
 タイトル自体、「イエス・キリストの黙示」です。
 
 このような書物を集めたものが、こんにちの聖書です。
 
 
代筆による書物であることの特徴
 
 聖書の中には、「主は仰せられた」というフレーズが400箇所余りあります。
 
 このことは、聖書がキリストの代筆の書であることの明確な現れと言えます。
 

 また聖書の中には、

 「主の教え」「主のさとし」「あなたのことば」「あなたのみ教え」
 
 といったフレーズも数多く見られます(一例詩篇119篇)。
 
 この「主」や「あなた」とは、神のことであり、キリストのことです。
 
 
代筆の理由/結果
 
 聖書は数多くの代筆者により、約1500年間にわたって書かれました。
 
 モーセ旧約聖書の最初の五書を書いたのがBC1400年頃で、
 
 ヨハネが黙示録を書いたのがAD90年頃と言われています。
 

 代筆者たちが生きた年代はバラバラで、打ち合わせなど不可能ですが、
 
 聖書の全巻をとおして、

 「人類の堕落と神による贖い」という主題が一貫して流れています。
 

 この不思議な現象は、キリストが直筆しなかったことの効果といえるもので、
 
 聖書が人間の意志によってもたらされたのではなく
 
 「神の霊感によるものであることの証拠のひとつとなっています。
 
 
まとめ
 
 私の答えを簡潔にまとめますと、
 
 キリストは、霊の状態で預言者や弟子たちに霊感をもたらし、
 
 彼らの思いの中に語りかけて聖書を代筆させた、ということです。
 
 代筆ではあっても聖書の著者はキリストであり、
 
 聖書全巻がキリストによる著作物だといえます。

 
 弟子のひとりヨハネは、キリストは神の言葉そのものだと記しています。

ヨハネ1:1~2
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
 
 
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