キリストが文書を書き残さなかった理由
根源的な質問です
上記のようなご質問をいただきましたので、私なりにお答えいたします。
ただし、ブッダについてはお答えできかねます。
●聖書全体がキリストによる文書
1テモテ3:16
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
新約聖書の「テモテへの手紙第一」という書物の中に、上記のような一節があります。
この「聖書はすべて、神の霊感によるもの」という表現の意味を説明いたします。
しかし神学的には、新約聖書も含まれます。
ですから、旧新約聖書全体が、神の霊感によって書かれた書物です。
次に、「神の霊感」の意味を説明いたします。
これは神の霊が、聖書を執筆した人々の思いの中に働き、
使用すべき言葉や、書くべき内容を一言一句導いたことを意味しております。
イエスの一番弟子ペテロは、こう説明しています。
2ペテロ1:21
この箇所の「預言」とは、旧約聖書の預言書のことです。
預言は口述の場合もありましたが、記述されたものも数多くあり、
それが旧約聖書の多くの部分を構成しています。
預言書は新約聖書にもあり、後述する「黙示録」がそれに当たります。
さて、ここで三位一体という概念が必要になります。
聖書の神には、神格(人格)が三つあります。
聖霊とは、神の霊の別の呼称です。
この三つの神格が、常に一人の神を構成しております。
それでは話を戻します。
三位一体論をとおして「聖書はすべて、神の霊感によるもの」という表現を考えますと、
「聖書はすべて、キリストの霊感によるもの」と、言い換えることができます。
この意味で、キリストがいろいろな人物に聖書を書かせた、
あるいは代筆で聖書を著した、と言えます。
●実例
黙示録1:1
キリストが代筆で聖書を書いたことの、わかり易い実例として黙示録があります。
上記の書き出しを見てわかることはこうです。
神 ⇒ キリスト ⇒ 御使い(天使) ⇒ 代筆者(ヨハネ)
キリストは直筆していませんが、著者であることに変わりありません。
このような書物を集めたものが、こんにちの聖書です。
●代筆による書物であることの特徴
聖書の中には、「主は仰せられた」というフレーズが400箇所余りあります。
このことは、聖書がキリストの代筆の書であることの明確な現れと言えます。
また聖書の中には、
「主の教え」「主のさとし」「あなたのことば」「あなたのみ教え」
この「主」や「あなた」とは、神のことであり、キリストのことです。
●代筆の理由/結果
聖書は数多くの代筆者により、約1500年間にわたって書かれました。
ヨハネが黙示録を書いたのがAD90年頃と言われています。
代筆者たちが生きた年代はバラバラで、打ち合わせなど不可能ですが、
聖書の全巻をとおして、
「人類の堕落と神による贖い」という主題が一貫して流れています。
この不思議な現象は、キリストが直筆しなかったことの効果といえるもので、
聖書が「人間の意志によってもたらされたのではなく」
「神の霊感によるもの」であることの証拠のひとつとなっています。
●まとめ
私の答えを簡潔にまとめますと、
キリストは、霊の状態で預言者や弟子たちに霊感をもたらし、
彼らの思いの中に語りかけて聖書を代筆させた、ということです。
代筆ではあっても聖書の著者はキリストであり、
聖書全巻がキリストによる著作物だといえます。
弟子のひとりヨハネは、キリストは神の言葉そのものだと記しています。
ヨハネ1:1~2
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
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