【ミニ投稿】主にある喜び+極貧=気前の良さ 2コリント8:2
新改訳聖書をお使いのみなさんには、新鮮に思えるかもしれません。
●原文では主語が二つ
2コリント8:2
苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。
この新改訳聖書の訳文は、かなり翻訳者の解釈が加わった意訳になっているようです。
この訳文ですと、主語は「喜び」だけです。
原文
ホティ エン ポレー ドキメー セリプセオス、
~ということ ~の中に 多くの 証拠 試練の
ヘイ ペリセィア テス カラス アウトン、
定冠詞 あふれる豊かさ 定冠詞 喜びの 彼らの
~と 定冠詞 ~下へ 深さの 貧しさ 彼らの
エペリスーセン エイス ト プロウトス テス ハプロテトス アウトン
あふれ出た ~の中に 定冠詞 豊かさ 定冠詞 一途さ 彼らの
原文にはカイ(英語のandに相当)という接続語があるため、
「あふれ出た」の主語は「あふれる豊かさ」と「貧しさ」の二つになります。
私訳
試練の多くの証拠の中にあって、
彼らの喜びのあふれる豊かさと凄まじい深さの彼らの貧しさは、
彼らの一途な思いの豊かさという形であふれ出ました。
●一途さ
新改訳では「惜しみなく」と意訳されていますが、
ハプロテスは、「一途さ」「単純さ」という意味の名詞です。
572 haplótēs (from 1 /A "not" and from pel-, "fold," cf. DNTT, 3, 572) – properly, "singleness, without folds, like a piece of cloth unfolded" (WP, 1, 56), i.e. not compounded or over-complicated (needlessly complex); "single-threaded" (versus "multi-threaded"); "without folds, simplex" (J. Thayer), used of "unworldly simplicity" (as in the papyri, MM).
ハプロテス
厳密には、「折り重なりがない一枚」のことで、たたんでない一枚の布のこと。
すなわち、重なっていない、あるいは過度に複雑になっていないもの。
「一本の糸で織られたもの」「折り重なりがない単一のもの」
「世的でない一途さ」という意味で使われている。
●あふれる喜び+極貧=気前の良さ
岩波翻訳委員会訳は、次のような訳になっています。
すなわち、患難〔に耐えるという彼らの〕大いなる確証のうちに、彼らの満ち溢れる喜びと、その底をつく貧しさとは、彼らの物を惜しまない純真さのもつ豊かさとなって溢れ出たのである。(岩波翻訳委員会訳)
①「ホティ エン ポレー ドキメー セリプセオス/試練の多くの証拠の中にあって」が文頭に来て強調されている
②あふれる喜び + 極貧 ⇒ 気前良さ
1節に「マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵み」とあるとおり、
マケドニアの諸教会(ピリピ、テサロニケ、ベレア)は、
恵みのゆえに喜びにあふれていました。
しかし同時に、迫害を含む試練に直面していました(1テサロニケ2:14)。
カタという前置詞は、「下に向かってくだる」という意味合いを持っています。
それプラス「深さ」で、日本語の「どん底」という感じの意味になります。
マッカーサー・バイブル・コメンタリーによれば、この箇所の「極貧状態」は、
物乞いをするほどの貧しさを指しているそうです。
ところがそれが、気前の良さを生み出したという逆説的な現象が起きました。
●ちなみに
2コリント8:9
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
ついでにエクスポジターズ・バイブル・コメンタリーから、9節の意味を拾っておこうと思います。
「富む者となる」=救いにある祝福を受けること
●まとめ
マケドニアの教会の精神は、まさにレプタ銅貨を投げ入れたやもめと同じではないでしょうか。
マルコ12:43~44
この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。
みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。
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