第二正典は「聖書」のうちに入りません!
「巡礼者の小道」は以前、健全で優良なクリスチャン・ブログでした。
しかし、近ごろは迷走しているようです。
この論考の筆者であるデヴィン・ローズ氏は、論考の結論部分で次のように述べています。
プロテスタントのジレンマ
もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら・・・
神は、初代教会がそれらの諸書を聖書として指定し、しかもそれらの書の内容から煉獄といった偽りの諸教理を引き出すことをお許しになりました。そしてついに、神の選んだ改革者であるマルティン・ルターがこういった悲劇的誤りを‟正す”ことに成功しました。--新約聖書に対する彼の似たような省略の試みは誤りであったのにもかかわらず、、です。
実際はその逆です。
●ショートバージョン
まずは短い抜粋を先に記した後、ページを少し遡って詳細な説明を付け加えようと思います。
「新聖書辞典」P722の「正典と外典」というセクションに、次のように書かれています。
また、主イエスと弟子たちは正典以外のものを決して用いなかった。
①前述したように、ヨセフォスは『アピオン反駁論』の中で正典は22巻(24巻と同じ)だけに限ると明言している。
⑤古代教会の証言もこれと一致する。サルデスのメリト(180年頃)の記した正典リストの中には外典は含まれていない。オリゲネスの正典リストもヘブル語正典のリストであった。カトリックにとっては権威ある聖書と言われるウルガタ訳の著者ヒエロニムスは「ヘブル語正典の文書のみが聖典的なもので他は外典的なものである」とはっきり述べている。
(強調はダビデ)
●旧約正典の構造と範囲(P719)
日本語訳聖書の書名の配列は次のような4区分法をとっている。律法(創、出、レビ、民、申)、歴史書(ヨシ、士、ルツ、Ⅰ・Ⅱサム、Ⅰ・Ⅱ列、Ⅰ・Ⅱ歴、エズ、ネヘ、エス)、文学書(ヨブ、詩、箴、伝、雅)、預言者(イザ、エレ、哀、エゼ、ダニ、ホセ、ヨエ、アモ、オバ、ヨナ、ミカ、ナホ、ハバ、ゼパ、ハガ、ゼカ、マラ)以上39巻である。
…これに対して現行ヘブル語の旧約聖書は次のような3区分法をとっている。①律法(創、出、レビ、民、申)5巻、②預言者 a.前預言者(良し、士、サム、列)4巻、b.後預言者(イザ、エレ、エゼ、12預言者)4巻の計8巻、③諸書、a.真理(詩、箴、ヨブ)または(詩、ヨブ、箴)3巻、b.巻物(雅、ルツ、哀、伝、エス)5巻、c.歴史(ダニ、エズ、ネヘ、歴)3巻、計11巻、合計24巻。サム、列、歴、エズ、ネヘ、12預言者をヘブル語聖書はそれぞれ1巻として数えるためにこのようになるが、内容は現行の旧約聖書と同じである。
(中略)
旧約聖書は中間時代から新約時代にかけておもに2区分または3区分法によって呼ばれていた。…しかしいずれの場合も、聖書の内容は同一である。ヨセフォスは『アピオン反駁論』の中で次のように記している。「なぜかというと、、われわれのあいだでは、互いに一致せず矛盾する無数の書物の群れなどはなく、ただ22巻の書だけがあるからだ。これは、すべての過去の時代の記録を含んでおり、正しくも神的なものと信じられている。」こう記した後、モーセが5巻、預言者たちが13巻、残りの諸は4巻であるとしている、ここで22巻というのはルツ記が士師記に、哀歌がエレミヤ書に含まれており、24巻と本質的に同一である。
(強調はダビデ)
●正典性の決定
(中略)
聖書は人間や教会会議によって正典とされたのではない。教会会議は、聖書の書物の1頁でも正典性を付与したわけではない。彼らがしたことは、その書が書き記された時以来正典であり、霊感を受けてきたものを認めただけなのである。そして私たちの主イエス・キリストはこれらの正典がすべて神からのものであることを認めたのである(マタイ5:17~18、ルカ24:44、ヨハ10:31~36)。(P722)
●まとめ
これに加え、ヨセフォスなどの歴史家による資料も、外典や偽典が正典に含まれないことを報告しています。
よって、『第二正典は「聖書」のうちに入るの?』という問いに対する答えは、「いいえ、入りません」です。
終わり
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