ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

親密な人間関係を基盤とした教会

特徴 その5
親密な人間関係を基盤とした教会

これが単なるキャッチフレーズではなく、体験になりつつある。信者たち
教会は個人の集まりではなく、コミュニティーであると認識している。言い換えると、me
(私に/を)やI(私)という考え方はせず、we(私たち)とかus(私たちに/を)という考え方、そして生き方をしている。彼らの考えでは、救われることと教会に参加することはワンセットなのである。これはまさに、新約聖書の概念の回復といえる。

もしあなたが1世紀に生きていた異教徒だとしたら、クリスチャンになるということは、日常生活に深く関わるコミュニティーへの参加を意味することを知っていたはずです。それは、あなたの個人主義と独立を捨て、神の民の一員になることでした。抽象的な教義ではなく、生き方の問題でした。自分よりも大きい、新しい文化の中で生きることでした。初期のキリスト教が、「その道」と呼ばれたのは、そのためです(使徒19:9、23、24:14、22)。それは単なる信念ではなく、生きる道だったのです。

欧米のクリスチャンは個人主義的なキリスト教を、個人主義的な救いと個人主意義的なクリスチャンライフとともに受け継いでしまいました。その事実に向き合わなくてはなりません。最近、あるキリスト教出版社からおしえてもらったのですが、毎年、約4万5千品目の福音的キリスト教書籍が印刷され、約5000品目が出版されています。そしてそのうちの95%以上が、読者を個人主義的なキリスト教徒として取り扱っているとのことです。それらの書籍の中心ポイントは、より良きキリスト教徒となるために、ひとり一人がどうしなければならないかを教えているというのです。

しかし神の思いの中には、そのような考え方はありません。キリスト教は、常に集団的な体験であり、集団的な実生活なのです。個人主義的なキリスト教思想は、16世紀の宗教改革期に生れ、18世紀の啓蒙運動期に発展したもの。つまり、ここ数百年間で具現した考え方です。新約聖書には、そのような思想は書かれていないのです。これは重大な発見ではないでしょうか。


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