ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「産みの苦しみ」の意味について


 質問者さんから次のような質問がありました。

 これに答えるために、「産みの苦しみ」という言葉の使われ方を説明します。
 
 
それから、第一テサロニケ5:3で、「人々が『無事だ、安全だ』と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。」と書いてあり、

 突然の破滅=産みの苦しみ
 と解釈できると思います。

 「産みの苦しみ」は、マタイ24:68で、「戦争や戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まってるが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。」と書いてあるので、

 突然の破滅=産みの苦しみの始まり=民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる=まだ世の終わりではない=地上再臨ではない
 と解釈することもできるのではないでしょうか
 
 
●応答
 
 1テサロニケ53やマタイ248「産みの苦しみ」と訳されているのは、オーディンという言葉です。
 
 オーディンは「陣痛、激しい苦しみ」という意味ですが、単数形の場合と複数形の場合ではニュアンスが変わる場合があります(常に変わるわけではありません)。
 
 単数形の場合は、そのまま「陣痛」あるいは「激しい苦しみ」という意味です。
 
 1テサロニケ53は単数形ですので、パウロは「陣痛」という意味でオーディンを使っています。
 
 しかしマタイ248のほうは複数形です。
 
 複数形の場合、陣痛という意味の場合と、「メシア到来の前兆としての苦難」を指す場合があります。
 
 
使徒2:24 
しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
 
 
 上の使徒224で「苦しみ」と訳されているのは、オーディンの複数形です。
 
 新改訳聖書では欄外に注釈がついており、「陣痛」という意味であることが説明されています。
 

マタイ24:6~8 
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
 
 
 一方、上記マタイ248の「産みの苦しみ」も複数形ですが、こちらの場合は、文脈的に「戦争」「戦争のうわさ」「ききん」「地震」を指していることがわかります。

 これは、ユダヤ教の伝承で使われている「産みの苦しみ」に「メシア到来の前兆としての苦難」というニュアンスがあるためです。
 
 ですからオーディンが複数形で使われている場合の意味の違いについては、前後の脈絡で判断することになります。


 後者の資料によると、第4エズラ記や第2バラキ書などのユダヤ教の伝承に、
 
「メシア到来の前兆としての苦難」を指す言葉として、
 
「産みの苦しみ」が使われていると説明されています。  
 

 こういうわけで、質問者さんへの答えとしては、次のようになります。
 
 1テサ5章の「産みの苦しみ」は「陣痛」という意味で、

 マタイ248の「産みの苦しみ」は、ユダヤ教の伝承的な意味で「メシア到来の前兆としての苦難」です。