ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

主イエスが使っていた聖書とは?


 この記事は「What Bible Did Jesus Use?」というサイトの抄訳です。
 
☆ ☆ ☆
 
 もし、あなたが衆人環視の中に置かれて、「聖書が正しいと言える『根拠』はなんですか?」と言われたら、あなたはどう答えるだろうか。
 
 それに対する最も良い答えは、同様の状況に置かれた主イエスが語ったことを思い出すときにわかる。
 
 山上の垂訓の中で、イエスは数千人の人々を前に確信を持ってこう語った。「天地が滅びうせない限り、わたしの聖書に書かれている言葉がすたれることはありません」。
 
 さすが主イエス。ご自分の聖書が、信頼に足るものであることを知っておられた。主イエスはご自分の聖書の中に、歴史的、倫理的、神学的、科学的誤りがあるなどと、ついぞ憂えたことはなかった。誰もが信頼できる聖書の写しを持っておられたからだ!
 
 主イエスはマタイ51719で、こう言われた。
 
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
 
 あなたは自分の聖書が、主イエスの聖書と同じかどうか考えたことはあるだろうか。神が超自然的に息を吹きだし、その霊感によって書いた聖書かと。
 
 あるいは、自分の聖書は大丈夫かと、疑ったことはないだろうか。なぜなら、あなたの聖書は、翻訳されてできた聖書だからだ。40幾人かいるといわれる聖書筆者たちが、直接書いたヘブル語やギリシャ語の親筆書ではない。
 

エスが使っていた聖書とは? 
 
 七十人訳聖書は、ヘブル語聖書から史上初めて翻訳された聖書である。ユダヤ人の写本筆写者により、紀元前3世紀に翻訳された。写本筆写者は聖書本文の専門家で、ヘブル語やギリシャ語に精通していた。
 
 七十人訳はBC2世紀~BC1世紀に、ユダヤ人たちの間で広く出回った。理由は当時のユダヤ人の多くが、ヘブル語を理解できなかったからだ。彼らの祖先は何世紀も前にイスラエルを離散しており、世代が進むにつれ、聖書のヘブル語を判読する能力を徐々に失っていった。
 
 イエス時代のユダヤ人の多くは、七十人訳聖書を使っていた。当然のこととして、初期のクリスチャンたちも、集会や個人的な場で七十人訳聖書を使った。
 
 また、新約時代の使徒たちの多くは、福音書や書簡を書くとき、七十人訳から引用した。最も興味を引かれることは、七十人訳の書物の順番はヘブル語聖書と違っていて、現代の聖書と同じ順番で並んでいるということだ。
 
 これは何を意味したのだろうか。
 

エスの聖書は翻訳版だった
 
 主イエス使徒たちが最も頻繁に学び、暗唱し、用い、読んだ聖書は、七十人訳だった。
 
 マタイはナザレのイエスこそ約束のメシアであると論じ、ユダヤ人を説得しようとした。そのためマタイの福音書は、必然的にヘブル語聖書の引用で満ちている。
 
 しかし、ことイエスの場合、ヘブル語聖書からの引用は10%だけであったが、七十人訳からの引用は90%だった!
 
 驚くなかれ、主イエスパウロが主に使っていたのは、七十人訳だったのだ。それは丁度、お手元にあるような聖書であって、ヘブル語旧約聖書の原本ではなかった。ヘブル語聖書をギリシャ語に訳した、翻訳版だったのである。
 
 
●あとがき
 
 私は、聖書は原典において誤りなき神の言葉であると教えられてきました。福音主義の中で信仰を培ってきた皆さんは、私と似たり寄ったりではないかと推察します。
 
 しかし、主イエスが「律法の…全部が成就されます」と言ったとき、意図していたのは、翻訳された聖書でした。ですから、私たちは「原典」にこだわる必要はないのです。
 
 七十人訳は細かい所で、ヘブル語聖書と表現が違っていますが、主イエスは、そこに書かれていることの「全部が…成就されます」と宣言したからです。