主イエスが使っていた聖書とは?
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もし、あなたが衆人環視の中に置かれて、「聖書が正しいと言える『根拠』はなんですか?」と言われたら、あなたはどう答えるだろうか。
それに対する最も良い答えは、同様の状況に置かれた主イエスが語ったことを思い出すときにわかる。
山上の垂訓の中で、イエスは数千人の人々を前に確信を持ってこう語った。「天地が滅びうせない限り、わたしの聖書に書かれている言葉がすたれることはありません」。
さすが主イエス。ご自分の聖書が、信頼に足るものであることを知っておられた。主イエスはご自分の聖書の中に、歴史的、倫理的、神学的、科学的誤りがあるなどと、ついぞ憂えたことはなかった。誰もが信頼できる聖書の写しを持っておられたからだ!
主イエスはマタイ5:17~19で、こう言われた。
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。18 まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
あなたは自分の聖書が、主イエスの聖書と同じかどうか考えたことはあるだろうか。神が超自然的に息を吹きだし、その霊感によって書いた聖書かと。
あるいは、自分の聖書は大丈夫かと、疑ったことはないだろうか。なぜなら、あなたの聖書は、翻訳されてできた聖書だからだ。40幾人かいるといわれる聖書筆者たちが、直接書いたヘブル語やギリシャ語の親筆書ではない。
イエスが使っていた聖書とは?
七十人訳はBC2世紀~BC1世紀に、ユダヤ人たちの間で広く出回った。理由は当時のユダヤ人の多くが、ヘブル語を理解できなかったからだ。彼らの祖先は何世紀も前にイスラエルを離散しており、世代が進むにつれ、聖書のヘブル語を判読する能力を徐々に失っていった。
また、新約時代の使徒たちの多くは、福音書や書簡を書くとき、七十人訳から引用した。最も興味を引かれることは、七十人訳の書物の順番はヘブル語聖書と違っていて、現代の聖書と同じ順番で並んでいるということだ。
これは何を意味したのだろうか。
イエスの聖書は翻訳版だった
驚くなかれ、主イエスやパウロが主に使っていたのは、七十人訳だったのだ。それは丁度、お手元にあるような聖書であって、ヘブル語旧約聖書の原本ではなかった。ヘブル語聖書をギリシャ語に訳した、翻訳版だったのである。
●あとがき