務め(ミニストリー)
ディボーション日記
2Co 4:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのです。
昨日はこの箇所について考えさせられました。
「この務め」とは「新しい契約」あるいは「御霊」に仕える務めのことです(同3:6)。
平たく言えば福音に仕えるということになります。
パウロは以前、律法に仕えていたので、
律法に仕えることと福音に仕えることの違いが、
知的にも体験的にもよくわかっていたのだと思います。
律法をよく知っているパウロが福音の務めに召されたのは、
知的な面と体験的な面の両方から両者の違いを説明できたからではないでしょうか。
私は、パウロのように律法のことはよくわかりません。
しかし律法的な信仰、組織的/制度的な教会、霊的権威の誤用/濫用などを体験してきました。
そしてその後、主の憐れみを受けてそれらから解放されました。
私の務めはパウロと同じではありませんが、
パウロが律法と福音の違いを語ったように、
私も、私が体験させてもらったこと(教会構造の違いや信仰のあり方の違い)を
これからも語っていこうと思わされました。
2Co 4:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのです。
昨日はこの箇所について考えさせられました。
「この務め」とは「新しい契約」あるいは「御霊」に仕える務めのことです(同3:6)。
平たく言えば福音に仕えるということになります。
パウロは以前、律法に仕えていたので、
律法に仕えることと福音に仕えることの違いが、
知的にも体験的にもよくわかっていたのだと思います。
律法をよく知っているパウロが福音の務めに召されたのは、
知的な面と体験的な面の両方から両者の違いを説明できたからではないでしょうか。
私は、パウロのように律法のことはよくわかりません。
しかし律法的な信仰、組織的/制度的な教会、霊的権威の誤用/濫用などを体験してきました。
そしてその後、主の憐れみを受けてそれらから解放されました。
私の務めはパウロと同じではありませんが、
パウロが律法と福音の違いを語ったように、
私も、私が体験させてもらったこと(教会構造の違いや信仰のあり方の違い)を
これからも語っていこうと思わされました。